子供や孫のこれから(成長・自立)、親や兄弟のこれから(老い)、まだ見ぬ者たち(誕生)、そして自分(老い)。
見届けるべきこと、見届けたいと願うことそしてやりたいこと。
いずれも星の数ほどありますが、58歳の私にとって時間はあるようで実はあまりありません。

これからの時間(=残っている時間)で、できることを考えてみます。
こんなに若いうちから?! と思う方が居るかもしれません。
でも私は、限られた時間が刻一刻と目減りしていることに、少なからず焦りを覚えています。
残された時間が本当に僅かになってしまってからでは遅いのです。
親が元気なうちから、資産の整理について話すことがタブーと思われがちであるのに、それは少し似ています。

さて…
バリバリのミニがあと何台組める?何回ステージラリーを走れる?この辺りはこれまでの長い経験でおおよその見当がつきます。
何台組める?若い頃よりはるかに易しいハズですが時間がかかってしまうのは、長くひとつのことを続けてきていろいろ知ったから。
でも得た全てを施すのではありません。
引き出しに収まった膨大な経験値の中から、車を使うひとに沿ったもの・必要なものを選んで手を加えていきます。
私が細々と競技を続けているのは、経験値のアップデートが必要だから。
つまり現在進行形であり、これまで是であったものが突然非になることもままあります。
そういう時は『上書き』。
時に捨てる選択もとても重要です。
攻撃は最大の防御という言葉もあります。
日本の世の中は、長く続いた形のない伝統は重んじずいとも容易く捨ててしまうのに、法律や決まりごと・慣習などは頑なまでに変えようとしません。改めるべきことも、ことなかれ主義というか責任逃れというか…アップデートがされない現場に、イヤというほど遭遇します。
正直、とてもイライラします。
私はダメとわかった瞬間に、捨てます。
ダメという判定の決め手になる要素は自分由来ばかりとは限りません。
世の中のテクノロジーの進化や部品の材質の粗悪化、環境基準の変化など様々です。
これらの変遷を最前線で感じ取り、対応していく必要があります。
モータースポーツが我々の仕事に不可欠なのは、こうした理由です。

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毎年ラリーに行っていると「気楽でいいね〜」「余裕があったうらやましいよ」よく言われます。
プラプラ好きなことをしているように見えるのかもしれません。
若造の頃から(来年、四輪でラリーを始めて30年です)必要だからやっているし、好きなことでもあるので辛くはありませんが金銭的にはとても大変です。
まぁ、裏を返せば気楽に見えるということは、我々が心底楽しんでやっているということが、正しく伝わっている証拠かもしれません。
何でもそうですが、見ているだけではわかりません、やってみないと。
「百聞は一見に如かず」という古い言葉がありますが、つまりその二者の間には雲泥の差があるということ。
ちゃんと見ないとわからない、だからやること・続けることは自然なことですし必然です。
何かを目指したい、何かを成したい「と思う時、傍で見ているだけでは確信に触れる部分は何も得られないでしょう。
まして私のようにプロとして人からお足を頂戴している場合は、有無を言わせず見ているだけではダメ。
だから飛び込みました。
大抵のことは自分でやります…あらゆる準備、車輌製作から事務諸手続、車輌海運、エントリー車検…
得られるのはデータだけではありません。スキルも培われます。

一見単純な手順から生み出される普遍。
同じ条件で闘うために敷かれる厳しい規則の枠内で、車輌を製作、ヒストリックは特に規則から学ぶこともたくさんあります。
車輌の戦闘力をイコールにするのが大きな目的ですが、同時に時間が経った車を守るという側面も併せ持っています。
いわゆる倫理観が問われる場面、例えば古い車にこのテクノロジーはアリか?といった悩みを解決へ導いてくれます。
数々のこうした場面に遭遇しながら、そうこれも経験値。
時々刻々と変化していくテクノロジーや環境基準、そして自分とをすり合わせて常に最良の着地点を探ります。
そうする間にも、車たちはどんどん歳をとっていきます。
ただ動けば良いのではなくきちんと車が残るように、素性も失われないように、あとで元に戻せないような、復元できないようなことはしない…いろいろちょっとずつでいいので踏み込んで考えて欲しい。
せっかく古い車を整えようと思うなら、先の世に残って誰の目に触れても恥ずかしくないような車であって欲しい。
出来上がる車がどうなるか、どこまで手を加えるかは触る人次第、器量を決めるのは触る人次第。
どうせやるなら本物を。年月を経ていたずらにいじり倒して良い時代はもう過ぎたように思います。
何といいますか、ちゃんとあるのはひどく手間がかかるんです。
どんな手仕事もそうですが、面倒臭い事をどれだけやったかで良し悪しは決まります。
手間を惜しまないから、いい車はできるんです。
残念ながら手間のかかったものに、この国の人たちは価値を見出してくれないことがとても多いのですが。
時間が経てば経つほどに、その当時を知る人は減っていきます。
遠い時代のものと片付けられて忘れ去られてしまわないためにも、活発に切磋琢磨する存在、欲しいです。
みーんな仲間は海の向こう。

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1989年に始めた海外ラリー活動。
自分のガレージで組んだ車を海運、本番を走って再び海運で戻してデータを取って修復して次に備える…
極東とイギリスの往復、1年の半分は海の上か海外。
荒唐無稽にも思われるようなことを2000年まで続けました。
1999 / 2000年は WRC の GBラウンドに Rover Mini(モダンカー)で挑戦、Gr.N の製作からは改めて、標準・限りあるものの中に集約される技術をとことん学びました。
標準があってこそのモディファイ、基本を突き詰めることはつくづく大切と思い知りました。
文字通り世界最高峰のラリーに補欠ゼッケンでなく、最後尾でもシードゼッケンが与えられた時には、継続の底力をじんわり噛み締め、とても嬉しかったのを思い出します。

’89 〜 ’00 は、私の30代。若くてキレッキレ。
今じゃ目を覆いたくなるような走り…さぞ、生意気な若造だったことでしょう。
約10年の充電を経て50代のラリー(2009〜)は、私にとっては2ラウンド目。
同じステージを同じタイムで走っていても、中身が全く違うのが自分でもよくわかります。
がむしゃらでイケイケだったあの頃…今は余分なことは一切せず、トライしても己の範疇ででているタイムです。
加えて私はメカニックですから、車が嫌がることはしません。
つまり壊れるような走り方は原則、しません。かわいそうでできません。
ステージが過酷すぎて、振動がすごすぎて部品が耐えきれなかった、等の不可抗力はあっても。
車をより良く、より長く保てるようにテストしているのですから。

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年をとっていく車を長生きさせるのが、我々の仕事です。
車種にもよりますが、生き物と違い車は部品の交換ができますし車体の修復が可能ですから、命は半永久という言い方もできます。
自然治癒しない、自分では何もできないのも生き物と大きく違う点ですので、永遠の命(?)を手に入れるには、人の意思と施術が不可欠です。
そしてめでたく車が残ったとして、周りにいる人はいつか命がつきます。
そうなると、車を注いでくれる人がいてほしい…車自体も、技術も残ってほしい、車は人が作った文明の遺産だからです。
でも一方で私たちの仕事は、実は世の中になくてもいいものだ、とわかっています。
究極の自己満足の世界だとも気づいています。
明日「もう、用ないよ。」ってなるかもしれない。
ただ、そんな存在でありながら人から請われる自分、技術を保ちたいと常に思います。
手間を惜しまない仕事、妥協しません。
相反するようですが、必要とされるというのはそういうことではないでしょうか。

私が仕上げる車に乗って、満足を与えられればこの瞬間は私の仕事は成功。
満足を持続するには、乗り手を良く知らなければなりません。
クセや生活背景の情報も、車輌の味付けには不可欠だからです。
絶妙の味付けをするには、自らがたくさん載ってデータの引き出しを活性化させておかなくてはいけません。
引き出しの中の水準を高く保つために、車種はある程度制限します。
部品のストックや有益な情報の管理は、キリがないので広く浅くではなく狭くても深く準備をしておきたいですから。

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新たな開拓もします。
将来の我々のためであり同時に、我々の仕事を必要としてくださる将来のお客様のためでもあります。
今の私がするべきことは、未来への布石。
いろいろあります…手を動かすだけでなく、これまでしてきたことの片付けや、やり散らかしがちな車趣味の堰の役目だったり、アドバイスだったり。
「提案」は手を動かすことと同じくらい大切なことと考えています。
あれやこれや構想に思いを巡らすことは、どこでも/身ひとつでできます。
むしろガレージにいる時よりプライベートの時間の方がひらめきや思いつきがあったりします。
リフレッシュの時間を持つことや、趣味を持つことを勧められたりしますが、必要ありません 。
好きなことをしていますからそもそも辛くないし、趣味は自分のしていることです。
それでなくても時間が足りなくて焦り気味ですから、余分なことをするなんて論の外です。
こんな私が、グレイスの店主です。

いろいろ思いを巡らせて、冒頭の『時間がない』という話に戻ってきました。
思えば私は二輪の時代から数えると、40年以上もモータースポーツのフィールドに何らかの形で携わっています。
さかのぼるのとこの先を数えるのとでは、比べ物にならないほど残された時間は少ないのです。
世界で活躍するベテラン達、ラリーでご一緒願っている諸先輩方は、だいたい70歳を自分の競技活動の区切りの目安にしているケースが多いようにお見受けします。
そこからだんだんトーンダウンして、軽いイベントにシフトしながら体と心にあったボリュームで、楽しみを続けています。
モータースポーツはれっきとしたスポーツ、心身ともに充実していないと道具が道具だけに生死に関わります。
身の丈を知って、先輩方は実にかっこいい、これぞ目指す姿です。
私もあと10年と少し、この10年をどう生きるか…割と真剣です。
なぜって、超自己満足の世界だから。
どうしたいか、どうなりたいか、自分で決めて自分のしたいようにします。

…オレたちのやってることなんて、「世の中でなくてもいいこと」なんだけどね。

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