全日本ラリー第2戦 クラブから毎年誰かしら出ている新城ラリー。
今年も例年通り3月に開催されますが(多分)、今年もパンデミックの影響で
無観客ラリーなんだそうです。

3月20日(土)・21日(日)

魅せられないラリーなんて、正直なところ価値半減ですがでも、火のないところに
煙は立ちませんから、許される限りは活動します。
ぼちぼちエントリーも締め切り。
今年はクラブから新顔がエントリーしました。
一昨年の新城で見ていた地元のミニ乗り。
ラリーが終わったら、自分もミニでラリーがやりたい!と訪ねてきました。
去年はクラブの合宿所としてご自宅を提供してくれて、サービス要員としてラリーに参加。
そして今年は…

ミニでラリーに出ます!

決して若いスタートじゃない、いつかは…って言っててもおそらくその時は来ません。
なら、地元だし本番で練習すればいい。
乱暴に聞こえるかもしれませんが、ラリーって競争するもしないも自分次第。
1台ずつ走るので周りに敵はなし(追いついたり、追いつかれたりはあります)

ラリーの動き(時間に支配されること)を覚えること
最後まで道の上にいること

これを目標にすればいい。
何も飛ばす必要は一つもない。
という訳で、今回当クラブ HRCR からは2台体制。
いつものもう1台は?
ドライバーは完全サポートに回ります。
去年1年、もう1台のグリーンに乗ったコ・ドライバーが、おっさんフレッシュマンを
リードします。
去年デビューの機会を得た彼女が、今年はチームの仲間の夢を叶える手伝いをします。

チームがあるから、そこに属しているから巡ってくるチャンスだし、役回りだし。
チームって素晴らしいなぁ…

***

さて我々は、相も変わらず家族単位でラリー行脚。
実は最近気づいたのですが、私(女房殿)がラリーをやってるのは

家族の健康管理の一環

ドライバー(夫)が一番いいコンディションでラリーができるように
リラックスした環境 = 家庭
伴侶なら老いとかも含めて理解してるよね

そもそも夫は、速く走りたくてラリーをやってるわけじゃないのは、ここに何度も
書いてきました。
もちろん若い頃は、乗れてれば速いですからそういう結果も得たでしょうが。
彼の目的はメカニックとして、ガレージでお世話するミニをより良くするため。
あと、大好きなミニで大好きなラリーをしたいから。
もっとも、速く走りたいなら…少なくともミニは選びませんよね。
(もっと速い車いくらでもある笑)
年齢を重ね、それこそあとどれだけできるだろう…と考える中で、好きに楽しく
ラリーがしたい、一生懸命働いてますのでそろそろ年齢的に自由があっても許されます…
よね…
ダメかな?

そもそも好きなことをしてますけど、リラックスして臨めればいい集中ができるでしょう。
集中できれば、安全にできます。
心技体安定すれば、結果…速い、かも。

私のラリーを、『家族の健康管理の一環』と唱えるのはそうした所以です。
感染症を寄せ付けないように免疫力を保つ食事を心がける、それと同じようなもの。
なんだか不思議な展開だけど、でもそうだから仕方ない。

カレンダーを見れば、新城ラリーまで1ヶ月。
間際でオタつくのはキライなので、今のうちに少し支度を。
去年も使ったステージがあるようなので、ペースノートを先に支度します。

ここは舟着(ふなつけ)というステージ。
昨年できた新しいステージで、ちょっと楽しみにしていたのですがなんと車両火災(全焼!)
のっけからキャンセルになりました。
安全装備の規定が大変お粗末な全日本。
速やかに見直してしていかないと…WRC 呼んでる場合じゃないって。

ま、それはさておき。
ここからは脱線して…ちょっとだけラリー名物、その土地を知ろう!の時間。

舟着

舟ってことは近くに川…あるある、豊川!SS へ向かう道も橋を、渡って山あいを進みます。
なーんとこの辺り、江戸時代には豊川の舟運(しゅううん)の中継地として『栄えた』地域
なんだそうです。
奥三河(北設楽郡/新城市あたり)と吉田(東海道の宿場町、豊川の河口付近)付近とを
結ぶ物質の輸送手段で、その舟は鵜飼舟(うかいふね)と呼ばれました。
飯田(長野県南部)あたりから伊那街道筋を馬で物資を運び、奥三河から先は舟で往復物資を
運んでいたといいます。
そこの物流の多さに幕府が目をつけて、課税したくらいです。
信州・奥三河からは、河口に向けて煙草(原料)・椀(工芸品)・柿などの山国の特産物が、
上流へ戻る舟には茶・塩・魚・綿などの生活物資が載せられたんだそうです。

山の湊(みなと)と呼ばれるほど賑わっていた

んですって!
この地域には、その頃の隆盛ぶりを形容する『山湊馬浪』という言葉が残っています。
( 画像は新城市ウェブサイトから たぶん『参河國名所図会 新城繁盛図』 )

ちょっと…お世辞にも、現在ののあたりの雰囲気からはそんなの微塵も感じません。
ただ小学校の名前に残っていたり、舟着山という山があったり、「山の湊号」って高速バスが
走っていたり…と、きっと地元では郷土を知る学校の授業などで学んでいるんでしょう。

SS の名前になったことで、知る由もなかった土地の昔の姿を知るきっかけになりました。
ラリーの蓋が開くまでは限られた情報の中からラリーを推察するしかなく、少しでも具体像を
知りたくて地名はよく調べるのですが、思いがけない楽しい調べ物になりました。

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