『無事』のありがたみ

7月の上旬に、つまらない怪我をしました。
包丁で指を切った…ただそれだけなのですが、いろんな思いをしました。

① 意外と冷静だった
夫の細かい怪我は散々見ています。
事が起きたのが土曜日の 6pm 。
整形外科に電話したら、電話には出てくれたもののいわゆる時間外。
横浜市救急医療センター 救急電話相談 への電話を勧められました。
やみくもに駆け込んで無駄足にならないように、近隣の病院で担当科の当直医がいる病院を
電話で案内してくれます。

傷口をジャージャー流して洗ってるのをよく見ていたので、洗面所で傷口を流しながら携帯電話で
そこへ電話、傷の状況を話し止血方法を電話で聞きながら(洗面所なら洗濯済の清潔なタオルがある)
向かう病院を決めました。
聞いた通りに止血をし、娘にヘアゴムを借りて動かないようにして、自分で運転して行きました。

② 家族の協力が沁みた
病院に娘がつきそってくれ、それから抜糸するまでの1週間はほぼ毎日お風呂に一緒に入って髪を
洗ってくれました。
夫も、怪我をした日早く帰宅してくれていて。
自身も別件で調子が悪かったにもかかわらず、です。
食器洗いも夫か娘かがさっさとやってくれるし、いわゆる水回りのことはどちらかがしてくれました。

③ 無事じゃないって、こんなに不自由
風邪をひいたりして動けないだけで参っちゃうのに、これっぱっちの怪我でこんなに不自由とは。
場所が場所なだけに(親指のつけ根そば)まぁお水屋をするにも物を持つにも、抑えることすら…
ピアノが弾けなくなったらどうしよう、って本気で思いました。
抜糸が済んでまぁ見ていられるようになり、リハビリ?がてらピアノを弾いた時にはやや感動…
こんなに当たり前がありがたいなんて。

④ 実は毎日奇跡の連続なのかも
介護をしている時にも思っていました。
毎日が奇跡。
へんもない怪我をしてみて改めて、1日が無事で終わることは実は奇跡なんじゃぁないか、と。
いってきまぁす → ただいまぁ って何もトラブルなく、無事でいい1日を過ごして帰ってきた、
これって尊いこと。
毎日が、奇跡の積み重ねなんだと気付いてしまった7月中旬でした。
『感謝』どこかへ置いてくるところだった。

⑤ もうすぐ節目、その前に
私、来年50歳になるんです。
夫とは14歳離れているので、割と老いについての事案が耳年増的なところがありますが、いよいよ
当事者になっていく、そんな歳にさしかかります。
いよいよ年齢からくる不注意とか、万一怪我しちゃったら治りが悪くなる、とか。
そういうことを意識してないと、小難が大難になってしまうかも…
50歳を前に、意識するきっかけをもらった気がします。