積む。

エンジン積みます。

途中経過。

今日はエキゾーストまでつないで、着地させて帰宅しました。
明日、キャブレータ廻りと細々でエンジンがかかる予定っ!

どんどん組む

日々の足ですもの。
どんどん組みます。

***
飛騨高山の郷土玩具、でんでん太鼓をお客様が下さいました。
ピーンと張った和紙に軽やかに木の球が当たって鳴る音は、なかなかに通ります。
さるぼぼ、子がすくすく育つようにという縁起物なんですね。

今回はサーモンで

今年の都英でハマった Fish Cake 。
お客様お手植えのきたあかりで先日はコロッケ、今回はサーモンでフィッシュケーキ作りました。
週末にちょっとしたお祝いごとがあって、人が少し集まり家で食事会なので…
女房殿の手助け、一品作ります。

この後コロッケ同様に衣をつけたら、個包装してぜーんぶ冷凍。
今日は今日で、昨夜頂いたカツオ(半身)をタタキにしていただきますので〜

バーナーで豪快に
相変わらず、季節の恵みを頂きっぱなしの氣谷家です…感謝。

在宅老人ホーム

なんだこりゃ…

***
実は年の離れた独り身の姉の通院に、ここ3年ほど付き合ってきました。
手術に耐える体力があったので、86歳になる月にステージ3の胃がんの手術をし、以来手術では
取れない部位にあったがんの治療などに付き添って、時に治療方針を一緒に検討したりしてきました。

4月頃から、未だ巣食っているヤツの仕業で芳しくなく入退院を繰り返していますが、年齢的にも
諸々いよいよ厳しくなってきました。

本人の強い希望で自宅へ帰ることになったのですが…
彼女の住まいは巣鴨の1Kのマンション。
横浜にいる我々が、どんなに工夫しても自力で介護は不可能です。
ホントは施設でお世話になるのが我々も安心、本人も安全なのですが頑固すぎて受け入れません。
入院先のソーシャルワーカー、本人のケアマネージャー(姉は要支援1だった)と相談して、急激に
身体の状況が変わったので介護度を見直してもらい、手厚いケアが受けられるように!と画策の結果…

新しいケアマネさんは『在宅老人ホーム』というセットパッケージを持つ事業所の方。
巡回介護(ヘルパー)、訪問診療、訪問看護等を組み合わせて、自宅にいながらホームにいるような
サービスを受けられる、というもの…だそう。
ちなみに、23区内の限られた地域でのみ受けられるセットパッケージサービスだとか。
要は、受け入れる施設が極端に少ないから。
加えて、パンデミックの影響で病院がキャパオーバーになり、自宅へ戻すための環境整備が進んだ、
とでも言いましょうか。

で、『在宅老人ホーム』。

ふーん…
なんでもいい、「聞かない」姉の希望が叶うならお世話になろう。
これまで彼女は、自宅のお風呂で入浴を一切しませんでした。
銭湯に通っていたんです。
何でも自宅のお風呂で友達が亡くなったとかでそれだけはイヤだというのですが、まぁ家族に
言わせれば、89歳にもなって独居の時点でまぁアウトな訳で。
簡単に言うと、有事に「着衣か真っ裸か」ただそれだけの差。
とりあえず今回、自宅でまだ暮らすなら『自宅お風呂の開通及び使用』を条件にしました。
何せ4年ほど前に引っ越して以来、1度も使っておらず物置きになっていました。
退院の翌日、早速訪問看護士さんによる入浴のチャンスがあったにもかかわらず…
早速断っていました(頑固)。
姪がまず風呂場で足湯をし、むくんだ足を温かいお湯でねぎらったところ、気分が良かったようで、
その次のお風呂のチャンスにはお世話になり、内湯で入浴をしたようです。
なんて世話がやけるんだ…

動けないもどかしさと、日によってだいぶ違う体調、認知的な問題はかなり少ない…つまりかなり
「ハッキリ」しているのでだいぶ気に入らないとは思うんです。

もはや外出は難しいけど、横浜を田舎とこき下ろしあんなところに行けるかと言い放ち
(言う通り横浜は田舎ですよ笑)
体調悪い時は全然動けないからおさんどん無理なのに、施設は絶対に嫌だと自宅を好むのもわからない

仕方ない心模様は彼女にしかわからない。
いいです姉の望み通りにしてやります。
そうはいっても、姉は不服だろうと思いますが。

使い方と、使い手と

エンジンのオーバーホールを承りました(割としょっちゅうですが)。
長く1人のオーナーが使ってきた個体、オーナーは日常の足としてのんびり乗ってるので
ミッションは今回多く触らず、エンジンとデファレンシャルにフォーカスして作業します。
デフは定期的に拝見するうちに、明らかな傾向が出ていたので作業します。

スポーツ走行する訳じゃなし、再利用できると判断できるものはそのままにします。
言うまでもないことですが、再利用はしますが全部開けます。


「エンジンやってある」という触れ込みの車でありながら、エンジンろくすっぽ触ってない

駆け込んでくる車は、そういうケースが多いです…(悪徳)
脱線しました。
上は昨日の作業。
ここからが今日。

そうこうするうちに、エンジンの加工が上がりました。
麺研磨して、ボーリング・ホーニングが済みました。

見えゃあしない部分、なんですがね

オーバルメーターのリム、スイッチパネルのリムも黒で仕上がりました。

今のうちに、バルクヘッド(bulkhead:エンジンベイと車室を隔てる壁)を覆います。
着地させてからだと、微妙に高さが低いのでやりづらいのです。

アルミ板を切り出して、配線の場所を避ける切り欠きをまず拵えます。
ざっくり切ったら、槌やプライヤーで形を整えていきます。

切り口の始末をします。
棒ヤスリから始めて、番手を細かくして滑らかに仕上げます。
言うまでもないことですが、切りっぱなしでは配線の束を傷めますし何より何かあったら触るのは
自分…怪我をするのも自分です。

よし、切り欠きはこれでよし。

ネジ止めするための穴を開けておきましょう。
バリ取りも忘れずに。

次はスピードメーターケーブルを通す穴を開けます。
まずは位置出し。
ケーブルをメーターに挿し込んで、脇と下に貼ったマスキングテープに穴の位置の印をつけます。

で、アルミ板をあてがい穴の位置を決めます。

穴開けて

バリ取って

これでよし。

あとはグロメットはめて、色塗って…
区切りがいいのでココでお昼にします。

反射しないように

競技車は、運転に係る部分にクロームパーツを使いません。
例えばワイパーとか。
ブレードもアームも黒を選びます。

この車両はラリー車として組んでいるので、センターメーターカバーやゲージのリムも黒く塗って
ひと手間かけます。

デビがいた5月

先日、我々の元に彼の冒険記を送ってきた David ことデビ(我々家族はそう呼んでる)。
彼はは当初、日本をアメリカ大陸とユーラシア大陸の継ぎ目程度にしか思っていなかったようです。

でも、日本でいろんな面白い思いをしたからか、日本を去る時には

JAPAN

マジックで書き足して、ウラジオストックへ発っていきました。

***
グレイスに来る仲間と鎌倉へ出かけたこともありました。

我が家にはしばらく滞在し、短い間でしたが文字通り寝食を共にしました。
きっと日本で、しかも民家にしばらく滞在することなど、彼は想像していなかったでしょう。
お箸で一生懸命食事をし(トライしてました)、味噌汁を一緒にすすって。
とある月曜日には、夫担当の餃子で食卓を囲みました。
食後には、紅茶を飲みながら娘とお絵かきをし

小学校のスポーツデー(運動会)に、日本のとある家族と参加することになろうとは笑
もちろん昼食は4人で弁当をつつきました。

我々の元を去ってミニ屋などに立ち寄りながら境港まで行く道中、愛知県警のパトカーに止められ
数時間、警察署に留め置かれました。
日本のナンバープレートの付いていない車両が、公然と走っていたのに驚愕したようです。
言うまでもないことですが、自動車カルネ(自家用自動車通関手帳)を携行して彼は世界を旅して
いましたが、その呼び止めた警察官は不勉強で自動車カルネのことを知らず、おまけに少し調べれば
わかりそうなものを何時間もお茶だけ出してデビをそこに留め置いたらしいのです。
現地からガレージに電話がかかってきました。
説明し、ジュネーブ条約に1mm の抵触もしないこと、だいたい警察が何をやってんだと半分キレて、
最後は昼食にカツ丼が出てきたとかって(確かそう言ってた笑)。
アホか。
今回出版の本には、やっとカルネが理解できて放免(そもそも留め置かれる理由がないけどな)に
なった時に、署で警察官が手を振って見送る写真が掲載されていました。
やれやれ恥ずかしいね。

***
ロシアで時におっかない思いをしながらも、一目散に大陸横断。
確か8月いっぱいには長い冒険を終えたと、彼から連絡があったように記憶しています。

で、9月。
我々はラリー参戦のためマン島へ。
そこへ彼が現れたんです。
なんという友情でしょう…ね。
その後、娘さん Louise がマン島のラリーにミニで参戦するようになり、デビはサポートで付き添い
マン島で何度か会いました。

以来、折に触れメールで彼の故郷の美しい風景や近況を伝え聞いていました。
彼の故郷は Isle of Mull スコットランドの島。

マン島のそれとはひと味もふた味も違うラリー “Mull Rally” が開催されることで有名です。

彼はもう1度日本へ来たいと常々言っているのですが、パンデミックもあり実現にはまだ遠い道のり
といったところでしょうか。
そうこう言いながら、この先は年齢的なものも出てくるでしょう…
つくづくパンデミックが恨めしく思えますが、それは誰の上にも等しく起きたこと。
彼の壮大な冒険記には、勇気や希望がたくさん詰まっています。
縁のあった人には特に、読んでほしい1冊です。
(旅の経過がかなり細かに書かれていて、なかなか面白いです)

“Silent Wish”

昨日、ポストに外国から小包が投函されていました。
差出人はDiddy Dave こと、David Thomas 。
グレイスのブログが一昨年秋にすっ飛ぶ前から読んでくださってる方はご存知かと思いますが、
スコットランドの小さな島、Isle of Mull 出身のミニエンスージャストで、ラリーストでもあります。

現在は、娘さんの Louise がミニで走っていて、我々もマン島で何度か一緒に走ったことがある
仲間です。
日本には、一番いい陽気…風薫る5月に1か月ほど滞在したことがあります。

実は David とは、今年のマン島で再会していました。
Louise のスポンサーチームのお手伝いで島に来ていて、会うことができました。
我々は彼が来ることを知らされておらず、まさに Big Surprise! 再会を喜び合いました。

その時に、彼が本を出版すると聞いていました。
そのうち送るから!

…届きました。
“SILENT WISH”
(脇に写る小さなお皿は、彼に以前もらったもので故郷の Isle of Mull の全景が描かれています)

ナニナニ…

***
ちょうど10年前、彼はカスタマイズした Mini Van で世界一周の旅に出ました。
UK – CANADA – ALASKA – RUSSIA – EUROPE -UK

その途中でアメリカから日本へ渡り、横浜で車を受け取り自走で大陸(ウラジオストック)への
フェリーが発着する境港(鳥取県)まで移動、ロシアへ渡って日本を通過していきました。
最初3月ごろだったかな?彼から email を受け取りました。
車両を製作した Mini Sport の Daniel に「日本を通るなら Shinobu に連絡しろ」と助言を受けて、
連絡している、とありました。
(なんでだか知らんけど、彼はそう言った…David は若干意味わかんね的な反応だった)

車両の入港に合わせて、GWの最後に空路日本へ到着、夫に再度連絡がありました。
夫は関内だったかな?のホテルを引き払わせて、金沢八景の旅館へひとまず数日滞在、その後は
我が家に逗留していました。
で、車両の受け取りのために税関へ。
そこで彼は、Daniel が言った「Shinobu に連絡しろ」の意味を知ることになるのです…

日本の水際の煩わしさ、言葉の壁、鎖国にも似た「井戸の中」のような環境…
大黒埠頭でまず X線検査を受け

彼はこの車で野営をしながら旅していましたから、家財道具満載。
ぜーんぶ物を出して

やっとこせ受け取って、ベイブリッジへ向かうも

車がトラブル
(長旅の後のコンテナ海運が影響してか、ラジエータのロアホースが破裂)

牽引で我々の自宅まで(よく見ると左下、牽引ロープが写り込んでる笑)

やっと自宅へ到着
(ガレージ建つ前なので、広々…芝生も青々…)
かくして、彼は最初に拙宅に泊まった客人となったのでした(しかも長逗留笑)。

10年も前のことなのに、ついこの間のことのよう。
彼が来た時、娘は小学校1年生でした。
(私も随分、年を取ったんでしょうか…やれやれ)

彼の著書を紹介したくて書き始めましたが、いろいろ思い出してたら面白くなってきたので、
ちょっと思い出話にお付き合い下さい。