ひょんなことから芋づる式

私の出た学校の同窓会が会報誌を発行していて、それが先日届いたのですが…
教わった先生のお悔やみ記事が掲載されていました。
学園出身の家庭科の先生で私は高3の時に教えて頂きましたが、後に小中高の校長も務めたそうです。

実家の母に伝えたところ、当時 私の話に聞く程度だったようですがにわかにその頃のことを
どばー
っと思い出したようで、出てくるわ出てくるわ…笑
5歳下の妹も同じ中高一貫の学校に通っていたので、我々の当時のこと、学校に通っていた頃の
出来事あれこれ(家族、親戚、etc…)、互いに懐かしく話しました。

母より *( )内は私の註釈
ずいぶん時は流れたもんだ
あの頃はまんまもいたし
(母と同い年の私の父方の叔母の愛称、当時40代前半。60代半ばでガンで他界)
ばあちゃんも元気で凄く充実していたわよ♪
(父方の祖母 コロナの入り端で101歳で大往生、当時は70代)
ばあちゃんのお世話みたいなことをしながら
アパートを見て(小さいアパートですが家作がありまして)
子どもたち(私と妹のこと!)に茶色い弁当持たせて
あー懐かしい
なんて老婆?

それに私が返信。
それを母の脇で見ていた父が、

「そんなに懐かしがって…誰か死んじゃったみたいじゃないか」

いいじゃないの。
みんなあの時があって、今がある。
あの後、あんなことやこんなことがあって、今がある。
今、こんな生活送ってるよ!なんて当時は想像だにしない。

母のメッセージを見るだけでも…
ばあちゃんが100歳超えて、総理大臣からお祝い状と記念品を贈られるとは思ってもみないし。
しかも、一時的な入院こそあれ、最後まで在宅で世話をやり切った。
…だから当時のことを、お世話「みたいなこと」と彼女は表現。
そしてばあちゃんの娘、父の妹であるまんまが、先に逝く(いわゆる逆縁)ことになるとは

今や、私もおばあちゃんですよーだ笑
みんなあの時があって、今がある。

母が「子どもたち」と言ってるのが、妙にこそばゆくって。
あぁ、私は父と母の「子」であったよ。
とんと立場が移ろいで、そんなこと忘れちゃってたよ。