イヤな思い出

先月、年イチの人間ドックを受診、数値に懸念要素があり詳しい検査を受けにいきました。
結果から言うと何ともなかったのですが。

予約の日までは家族も、何というか宙ぶらりんな感じで。
そりゃそうです「大丈夫だよ」とか易々と言えないし
当の本人は流石に気にして少々元気がないけど、周りはなす術(すべ)無いし
検査の日に「何事もないといいね」と声をかけてくれるのが精一杯。

特に気にすることではないとハッキリわかったので、家族には「お騒がせしました」と連発しました。
心の底からそう思ったから。
もし数値の問題が何かの予兆だったら、この先少なからず家の中はフツーには回らなくなるし、
家族皆に日常+α の負担がかかる。
そうならず、変わらない日常が送れるとわかり、心の底から安堵。

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一件落着して思い出したことがあります。
猛烈に気分悪かったので、極力思い出さないようにしているのですが。

コロナ騒ぎの前に、久々に大学時代(女子大です)のクラスメイト十数名と集まる機会がありました。
学生時代…四半世紀近く前の出来事、それきり会っていない人が殆どで懐かしく話に花が咲きました。

集まった中の1人が、数年前に婦人科系のがんに罹患しあまり人と会っていなかった、と聞きました。
予後も良く、やっと人と会う気持ちになれた、と話す彼女。
当人にしかわからない闘病のキツさは、計り知れないなぁ…なんて思いながら聞いていたのですが…

は?

何てことを言うんだろうこいつ。
自分だけが辛かったみたいな口をきいてる。
もちろんキツかったろう(わかんないよ私には)けど、ご家族だって辛かっただろうよ。
ショックだって受けたと思う。
きっと闘病中の家族の生活は激変したと思う。
ママが家の中で担ってたことを、みなでやる。
ママに甘えてたことを、自分でやってみる。
一番頑張ってるのはママだから、って自分らだって辛くてもきっと励ましてくれたろうよ。
そういうのが心の支えになったんじゃねーの?

それより何より、中学受験なんて親が吹き込まなきゃしないだろ!

もう2度と会うことはないでしょう。
幹事の子は「年イチくらいで会えたらいいね〜」なんて言ってたけどゴメンだね。
彼女が来るなら行かねーよ。
ま、幸いその翌年にコロナで世の中ひっくり返っちゃったんで、それっきり集まってません笑

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万一に備えたくてドックも受けてるし保険も加入してます。
何もないに越したことはありませんが、何かあって「それから」何かをするのでは遅かりし由良之助。
備えて、その時には(その時でなくてもね)力を合わせて助け合える家族であり続けたいです。
どんなにせわしくとも日々の「無事」に感謝しながら毎日明るく生きたいものだと、家族に「お騒がせしました〜」と言いながら思いました。