ハンカチと歯間ブラシ

子どもの頃、よく言われませんでしたか?

「ハンカチちり紙持った?」

休みの日に、ポケットにハンカチが入っていないと大袈裟ではなくソワソワ落ち着きません。
滅多にありませんが、そんな大事件が発生すると見かねて女房殿が手拭いを貸してくれます笑

近年、ハンカチに匹敵するアイテムが…
それは

歯間ブラシ

食後には必ず使います。
今年はついに渡航の機内でも!
もう持っていないと落ち着かないし何より気持ち悪い。
もう、ない生活はできません…
でもおかげで、歯の具合はすこぶる良いのです。
親知らずの処置や諸々、若い頃から通ってきた歯医者の不適切と言えなくもない処置のおかげで、割と歯がメタメタでしたがかーなり持ち直しました。
今では2ヶ月に1度のメンテナンスも、サクっと終わります。
加齢とともに歯茎は痩せますから、隙間が…ね。
もう手放せません(しつこい?)

賑やかで静かな土曜日

今日、1階で作業するのは3人。
雨も降り出し、賑やかですが粛々と…静かな土曜日です。

明日からまた暑いんですってね、体調がついていきません。
暑さが通り過ぎるまで、体を冷やし過ぎないように乗り切りましょう。

どうにかならないのかな…

横浜 630pm
処暑も過ぎ、いつの間にか暮れるのが早くなり、暗くなれば虫の音も。

県道には帰宅を急ぐ車列、バスも乗客多め。

バスが乗客を下ろすのにバス停で止まっています。
少し先の信号が赤だったため対向車線の車が途切れていたので、私は停車中のバスを追い抜こうかなぁと思ったのですが…
バスを降りてきたお年寄りが、屋外用の歩行器を使いながらバスのすぐ後ろ(私の前方)へやってきて、なんと

道を横断しようとした

その頃には信号も変わっていて、対向車はフツーにガンガン来ていましたでも!
結果から言うとその人は無理やり渡っていきました。

あまりに酷いので、窓を開けて大きな声で言いました。
「おじいちゃん危なすぎるよ!無理だって!ムリ!」
かなり近かったのですが ま、聞こえてないでしょうね 勝手だから。
少し走れば自宅、というところでしたがそこからずっと独り言を言ってました。
なんて勝手なの?なんなの?なんて勝手なの酷すぎるよ…

後部座席で基本、始終喋っている孫娘も何故かずっと黙っていました。
老人の様子を見ていたのか、はたまた私の様子が異様だったからか。

とりあえず思いました。
自動運転なら、間違いなくハネられてるね。
それと、きちんと歳を重ねたい。

今日は過ごしやすい けど

横浜は朝から曇っています。
自分より年上の車(御年68歳)の車検の予約を入れていたので、大変助かりました。
こんな日でもプールは開放 笑
薄暗くなってきちゃって、LED の街灯が点灯しちゃったみたいです…

***
氣谷家の改葬(お墓のお引越し 石川県→横浜市)は、何年にも渡るプロジェクト?だったので、ココで何度も書きました。
かつてお墓があり散々通った加賀地方に、未明から断続的に大雨が降り続き河川の氾濫があちこちで発生、孤立している集落がいくつもあるようです。
父の出身があちらで、法人の名前にも能登の一番高い山の名前をもらったこともあり、親戚も縁ある者はもうあちらにはいませんが馴染んだ土地です。
能登の地震でまだ復調には程遠い状況で、こういう自然災害は…
人はこういう時、手も足も出ません。

これ以上にならないことを願っています。

暑さのぶり返しが

今週は暑さがぶり返すようです。
横浜の空もこの通り、真っ青。

西日本は特に酷いらしい…さきの地震で被害の大きかった地域ももれなく酷暑。
どうか少しでも心平らかに過ごせますように。

小豆島産 素麺の会

なんのこっちゃ笑
昨日の昼食は、何人か集まったので…

小豆島の方とご縁があり、今年土地の名産を送ってくれました。
美味しい美味しいと報告したら、別のお店のを再び…(おかわりしたみたいだ笑)
お中元に届いたお素麺も、たまたま小豆島産 ということで食べ比べの会じゃないけどお素麺でお昼にしました。

普通のおつゆに加えて、このあたりと一緒にズルズルお素麺をすすりました。
– ひやし鴨南蛮
– 茄子の焼き浸し
– トマトとパプリカのマリネ
 ↑ こちらはやはり島の名産オリーブを練り込んだお素麺と相性バッチリ
献立に載せていませんが、卵とお醤油だけのシンプルなのも結構イケました。

箸休めにはお客様のお持たせ 南瓜の煮付けと前夜の残りもの白和え、あと載せてませんが梅きゅう。

食後にはどちらも頂き物、名残りの桃と梨(幸水)を頂きました。
こういう食事は1人でも多い方が楽しいし美味しい。
残暑のひととき、楽しい膳を囲み英気を養いました。

人間は経験の生き物

若い力が経験を経て逞しくなっていくのをそばで見られるのは、誠に頼もしくまた清々しいことです。

でも、彼はつきっきりじゃなくてもヘーキなんだな。
そこがまた嬉しいところ。

旅のおまけ『東海道宿場町距離一覧図』

旅ってほどじゃないけど、小旅行ってことで「旅のおまけ」。

丸子宿の丁子屋での美味しい楽しい昼食の後…
レジそばでちょっとした土産物を置いていました。
とろろ(自然薯)を使ったお羊羹や冷凍のとろろ汁とか自家製の白味噌(とろろに使ってる)の食品に混じって、前掛けとか飯碗とかとろろ椀(すり鉢になってる)とか手拭いとかの販売もありました。

手拭いに目がない私…
何か面白みを感じて、迷わず手に取ったのがこちら。
色が全然違って写ってますが、鮮やかな縹色です。
実際はこんな色。

買った時はよく意味わからないまま、購入笑
お客様の家へお邪魔してから、奥様とググりながら あーじゃねーこーじゃねー…

何が何だか、だと思うので先に加筆しましたが実はこれ、東海道と中山道に在する宿場町の名と距離とを一覧にしたもの。
上が東海道、下が中山道、起点 / 終点は 日本橋と京都です。
バスの料金表みたいにタテ — ヨコと見ます。
例えば 
府中 — まりこ(丸子)は 一り(里)半 つまり 6km
その先の岡部までは 三り半 14km
興津 — まりこ(丸子)は 五り(里)十二丁 21.3km
*一里は約 4km、一丁は約 110m

手拭いの端には

水晶玉類
同御眼鏡
同御置物
其他細工物

駿州岩渕上町 東海道硯元祖 硯屋長右エ門

硯屋(すずや)長右エ門 は東海道の岩渕宿で玉器商を営んでいました。
岩渕宿は正式な宿場町ではなかったものの、富士川東岸で交通の要所 間の宿(あいのしゅく)として栄えたそうです。
硯屋は版元でもあったようで、このいわゆる「旅程表」を1856(安政3)年に出版…

全景をネット上で見つけました
東海道は 日本橋 – 品川 – 川崎 … 草津 – 大津 – 京都
中山道は 日本橋 – 板橋 – 王らび(わらび) … 守山 – 草津 – 大津 – 京都(判読が難しい…)


あー楽しい笑
大当たり、楽しい手拭いを手に入れました。
小さな旅の思い出にもなりました。

丸子宿

この夏唯一、定休以外のお休みを頂いて向かった先は静岡市駿河区。
エンジンの加工を依頼され納めたお客様のその後、を拝見がてらお昼を呼ばれました。
時分時ですので、まずはお昼。

瓦を井桁に組んだ歩道を行くと…

歌川広重の『東海道五十三次』丸子宿にも描かれる 丁子屋 
(画像はインターネットから)
名ぶつ とろゝ汁 と看板に見えます。

なんと創業は1596年、江戸時代が始まる7年前…
浮世絵に描かれるように当時はお茶屋さん、御茶漬 / 酒さかな の文字も見えます。
このあたりは自然薯が豊富に採れ、名物とろろ汁は旅人には精がつくと喜ばれたそうです。

とろろ汁 とろろ飯ではなく、とろろ汁。
自家製の白味噌で拵えた味噌汁にたっぷりのとろろが入っています。
お櫃にたっぷり運ばれてきた麦飯は茶碗に半分くらい、そこへとろろ汁を飯がヒタヒタに泳ぐようにすくい入れて、好みで薬味をパラパラ…

一緒にいただくのは、甘めに炊いたちりめん山椒とむかごの梅肉和え。
むかごは芋の葉の付け根にできる球芽のことで、それが地面に落ちると新しい株に育つんだそうです。
そのむかごと、とろろの揚げ物も頂きました。

美味しい♡
土地の滋味が古人の旅路を助け、それを今こうして味わえることが嬉しい!
伝統と味が今日までつながっていて素晴らしいと思いました。
できればこの先も頑張ってほしい…当代は14代目なんだそうです。
コロナも乗り切り、先も続いて欲しいです。


さて。
お客様のご自宅へ戻って、車の調子を伺って うん満足。
こんなに調子の良い個体は日本にはないんじゃない?

右端、自宅にチェーンブロック完備のガレージ…拙宅のガレージにもないって笑
ま、私の場合は工場でやればいいので自宅ガレージには不要ですが。

やっぱり、寄れば車の話は止まりません笑
車も調子良いし、連日暑いので心配でしたがお客様も思ったよりお元気そうでよかった!
お休みを頂いた甲斐がありました。
明日からまた働きます笑

手紙の話

孫にお手紙が来ました。
…といっても、ヤラセ なのですが。


彼女がアニメの DVD を見ていて登場人物に手紙が届く場面があり、思いつきで私が彼女に手紙をその場で書いて渡したところ、何度も読めとせがみ、やがてそらんじて読むのを見て…
私が実家の母に、孫宛の手紙を送ってやってほしい と頼んだもの。

それはそれは嬉しそうで、店の往復ずっと手に持っていました。
まだ返事は書けないので電話でお礼を言いました。


その後、孫と手紙の話をしていて「ばーばはお手紙もらった?」と聞かれたので…
とっておきを引っ張り出して見せました。

昭和50年10月 2歳5ヶ月だった私に宛てて、当時実家で同居していた、嫁に行く前の父の妹つまり私の叔母が旅先から送ってくれたはがき。
沖縄で開催されていた海洋博に行ったんですね…アクアポリスという日本政府の出展施設が写った絵葉書です。
特筆すべきは、当時はがきは10円で送れたこと、それから当時2歳の私によるとみられる「落書き」です笑

実は叔母はもう亡くなっていて、昨年十三回忌法要で皆と集まったのでいい加減経っているのですが、奇しくもお盆の時期にこんな話題になりいい供養になったかなぁなんて、孫が寝た後に実家の母と話したところです。
当の本人(叔母のことです)、こんなはがきを私がまだ持っていて気味悪がってるかもしれません笑

あぁぁっ!
ちょっと待って!
このはがきなんかおかしい。
私が生まれたのは母が25歳の時。
叔母と母は学年は違えど生まれは同じ年です。
ってことは…はがきに書かれた彼女の年齢は…ウソ笑
私が2歳の頃なんだから、27歳だったんじゃない?これって詐称!

明日、母に報告します笑