お別れは突然に

紛らわしい登場人物多めなので、面倒くさかったらスルーしてください笑

= = = 女房殿 / Grace のおかみさん(笑)の親戚の話です = = =

連休中のとある日 7pm 頃、実家の母から電話が。

「かっこが、亡くなったのよ」
へ?

***
85歳、母の姉…次姉です。
嫁して以来ずっと平塚に住んでいて、最近は心臓の薬を飲んだりしていたらしい。
数ヶ月前に母が電話で話した時には、外へ行くのは大変になっちゃったけど家の中なら助けを借りずに暮らせてる、そんな近況だったのに、と。

母は4姉妹の一番下。
母と同じ三多摩地区に住む長姉と戸塚に住むすぐ上の姉夫婦を連れて、自宅へお別れをしに行ってくることにしたそうです。
実家の隣に住む私の妹が、足を買って出て行ってくれるといいます。
母は私に尋ねます「寛子はどうする…?明日だけど急じゃぁ忙しいもんね?」

いや行きます、行きます、悲しみごとなんて急に来るに決まってるし。
そういうことなら東京は東京が、横浜は横浜がピックアップして現地集合すれば効率もいい。
横浜から行く方が気持ち近いから、お花を検討してるなら私が手配して持って行くから…
じゃ明日…


近所の大型園芸店の 9:30 の開店を待って花籠のアレンジをオーダー。
(開店に合わせていったら既に駐車場は満車寸前だった!)
1時間と少しで出来上がって、その足で戸塚の伯母夫婦を迎えに行きました。
時節柄、薄桃色の芍薬が程よい存在感、お母さんだった伯母ですから白ですがスプレーカーネーションを入れました(母の日近いのでね)。
あとはふんわりした印象になるように花を選び、お店の方にアドバイスを求めて枝物はヒリョウブを足して動きを出してもらいました。


実は、電話で互いの声を聞くことはあっても姉妹が顔を揃えるのは覚えていないくらい久方ぶり。

3年前の夏に、4姉妹揃って両親(私の母方の祖父母)の墓参りに行ってはどうか?と私と妹で企画してみたのですが、母以外全員が断ってきて笑…
結局 母と私、妹とその子らで温泉旅行に行きました。
その時に少々の無理をしてでも、姉妹を合わせておけばよかったなぁと思いつつも…
ま、断ってきた時点でこうなる(次に集まるときは誰かのお弔い)であろうことは予想がついていたよね、と妹と話しました。
3年前も、まぁ本人たちがいいっていうんだから無理強いはよそうや、ってことで自分たちの温泉旅行に切り替えたのでした。


自宅に着いて、お顔を見ました。
一同、唖然。
姉妹のおっかさん(私の祖母)の晩年の面差しに瓜二つです。
悲しさ通り越して、皆で思わず笑みがこぼれました。
遺影というか、先に旅立ったご主人と一緒に撮った写真が飾ってあったのですが、なんとまぁいい写真で。
花柄のブラウスかなんか着ちゃって、ご主人も明るい色めの装い…何かの記念日だったのかしら。
悲しいんだけど、なぜかほっこりして。

ご近所の方とかがパラパラ弔問に来て下さるので割とせわしく、自宅ですから人を迎えるには決して広くはないので、我々はご家族に懇ろに挨拶をし早々に失礼しました。

近くのお蕎麦屋さんで遅めの昼食を皆でとり、彼女を偲んでずいぶん長居をしてしまいましたが、故人が呼び寄せた久々の面々でのしんみりしながらもどこかあたたかい昼餉でした。

母の長姉は…エレベーターなしの5階建てのマンションの4階で独身独居。
この先おそらく大なり小なり起こるであろうそして必ず起こる身の回りのあれこれが透けて見えるような見えないような…
妙に強気な彼女をアゲつつ、今後のことも頭の片隅に置いて立ち行かなくなったら実家に戻る選択肢があることを忘れるなと、誰ともなくチクッとやってB型ばっかし6人のお席は解散となりました。

***
あまりに急で、実感が湧かないままの訪問 / お別れだったことは確かですが…
車で母たちの足になったことで、おかげさまできちんとお別れをすることができました。

どこのおうちにもある、「順番ごと」。
夫の兄弟がここ数年で色々あってお星さまになりました。
ひと段落したところですがだんだんと自分の親の周りがザワザワしてくるであろうことを、静かに感じた1日でありました。

水曜夕方のFMプログラム

NHK FM の水曜夕方は、JAZZ が流れています。
帰宅の折に聞こえてくるときまって、数年前 数年間に渡って続いていた義兄の通院の
付き添いを思い出します。

多発性骨髄腫で下肢が不自由になった義兄は、自宅で暮らすことが困難になり施設でお世話になる
ことになりました。
前後して定期受診が始まり、金庫保管を求められるような薬を使っていたので通院は少なくとも
2週間に1回という頻度でした。
数値が悪いと「また来週」。
定期受診の2回に1回は、血液製剤の点滴付き(少なくとも2時間)。
本人は通院に昼寝付き(笑)で、ずーっと車椅子に座っているより体への負担は軽減できるので
よかったのですが、付き添いは盛大な待ちぼうけです。
書類を持ち込んで廊下の椅子で仕事してました笑

運よく彼の生活圏内に多発性骨髄腫の権威が居て、施設から荒川を渡れば病院。
血液内科は激混み、そして横浜から迎えに行って通院ですから…
施設の方々も、それはそれは親身になって持病と向き合ってくれました。
家族が通院を担うことで強い連携が取れ、家族としても施設側としてもいい体制だったと思ってます。
ただ、いかんせん距離がありました。
娘は中学に入るタイミングだったので、味噌汁を作っておいてくれる位はしてくれるようになり
ましたが、通院の水曜日は食事の支度をあらましして午後の受診に合わせて本人を迎えに行く…
そういうルーティーンでした。

運よく早めに終わると、義兄を施設へ送り届ける車内で流れていたのが JAZZ の番組でした。
強い日差しの日も、氷雨の降る日も。

義兄は連れ合いを先に送ったのち、気持ちの整理がついてからは、我々の海外渡航に悉く同行。
仕事にも、ラリーにも。
殊、ラリーの時には、私がコドライバーとして乗るようになってからは(娘小1〜)娘の世話をしつつ
マン島で一緒にステージをまわったりしていました。
車も向こうでフツーに運転してたし、夫と2まわり違う義兄でしたが晩年動けなくなるまでなかなかの
バイタリティの持ち主でした。

まさか歩けなくなる日が来るなんて。
タラレバの話をしても詮ないことですが、病気の発見が早かったらまだ元気でいたのかしら。
まだラリーに一緒に行ってたかな。

水曜日、Jazz の番組が流れてくると義兄をいつも思い出します。
折しもマン島のラリーを4月の中旬に控え、細々準備も日々進めているので余計に思い出します。

Australian Cooper

車検で入庫中の Australian Mini Cooper 。
グレイスでかつてレストアした個体です。
色合いが、本国のそれとはだいぶ違います。

Iceberg Blue / Haze Blue
iceberg は 氷山
haze は 靄(もや)
色の名前が、印象的です。
個人的な感想ですが、色としては薄ぼんやりした…組み合わせ。
Mk3 の白は Glacier White と名が付いていますが、こちらは 氷河。

次の日曜日、11月26日(日) 臨時休業とさせていただきます。
若い衆はサーキットへサポートに出かけます。
店主は、勝手ながら家の用件で他出します。

店主は兄弟が多いんです。
異母/異父 どちらも居るのですが、とりわけ異母兄弟は5人と多め。
世代がちょっと上なので、この数年でパタパタっと逝ってしまって、石巻に居る兄を残すのみとなって
しまいました。
兄は連れ合いにぽっくり先立たれ、先の大震災では長男を津波で亡くしています。
まだバリバリ仕事してるので、元気は元気なんですが…でも寄る年波。
様子を見ながら墓参、諸々報告に行ってきます。

千光寺…

今日はトンボ返りで加賀行き。
先日旅立った長姉に、菩提寺でお経をあげて頂きに行ってきました。
彼女が望んだ通りにできて我々も満足、奇しくも昨年逝った長兄の祥月命日が9月28日なので
1回忌の法要も併せてお願いできました。

いつもは 新東名ー東海環状ー東海北陸道ー北陸道 のルートをとるのですが今回は、中央道松本下車
安房峠経由で高山へ抜けてそこから東海北陸道で日本海側へ出ました。
松本ー高山間は一般道を 100km ほど行くので、どうかなーと思いましたが、距離がだいぶ短いので
さしたるストレスもなく往復できました。

いつか見た風景です…

前回(2021年)ハイランドマスターズ(全日本ラリー:ホストシティは高山市)のアイテナリー
(日程表)です。
ここから入っていった先に SS(スペシャルステージ)がありました。
今年は使わないようです…
ハイランドマスターズは、10/13 – 15 えーっと、3週間後にはまたこの辺に来るんだわぁ。
次はトラックとライトバンだから、もう少しえっちらおっちらの道中になるだろうけど。

私の仕事は

メカニックですが、時に営業だったり、コンサルタントだったり。
大工さん、電気屋さん…古い車にまつわることなら何でもします。

新たに車に乗ろうとする人
カタログに載っているものを買うわけではないので…
夢で頭がいっぱいの「購入を検討している人」に、最良の方法を知ってもらいます。
最良の方法とひと口に言っても、その人その人で違います。

予算がネックになっている人に、どこにお金をかけるべきかを提案
特化した使い方(スポーツ/スポーティーにに使う)をしたい人への提案
思い余ってスペックを妄想しちゃってる人に、車の性能を引き出すのに何が必要かを説く

***
目下、自分で所有して維持している人。
ココは一番メカニックらしい仕事ができるかな。


***
そして実は終活も。
次のオーナーを探すことなんかは序の口。
手放すことを本人が望んでいないケース(すでに乗れなくなって久しかったりする)もある。
本人は記憶と願望とが交錯して、現実とはかけ離れたことを言ってたり。
説いて納得…してもらえないこともあるけど、そこは車の為を思って理解してもらうよう努力。
そうなりたくないと知恵を求められて、「車の身の振り方」を書き遺してる人も居ます。

不敬だ、縁起でもない、と現実から目をそらす人はたくさんいますが、車の為を思えば動かなくなる
ことは車にとっては「死」も同然。
長く愛して傍に置いて暮らしを便利にそして色鮮やかにした、相棒の身の振り方にけじめつけるのは他でもないオーナーの責任だと思います。
もどかしさとか、でももうちょっと…とか、そういった心模様は理解しつつもでも、可能なら
車の為、自分と周りの為に自分で決めてもらいたいところです。
きっとそういう締めくくりは、いい記憶として残ります。
無理矢理では負の感情しか残らず、せっかく長く積み上げたいい思い出が台無しになるでしょう。

いわゆる「終活」のお手伝いには、母や兄を送ったプライベートでの経験が大いに役に立っています。

***
そして今、いろいろ受け入れられない姉を説くのに、日々の経験が役に立っています…

在宅老人ホーム

なんだこりゃ…

***
実は年の離れた独り身の姉の通院に、ここ3年ほど付き合ってきました。
手術に耐える体力があったので、86歳になる月にステージ3の胃がんの手術をし、以来手術では
取れない部位にあったがんの治療などに付き添って、時に治療方針を一緒に検討したりしてきました。

4月頃から、未だ巣食っているヤツの仕業で芳しくなく入退院を繰り返していますが、年齢的にも
諸々いよいよ厳しくなってきました。

本人の強い希望で自宅へ帰ることになったのですが…
彼女の住まいは巣鴨の1Kのマンション。
横浜にいる我々が、どんなに工夫しても自力で介護は不可能です。
ホントは施設でお世話になるのが我々も安心、本人も安全なのですが頑固すぎて受け入れません。
入院先のソーシャルワーカー、本人のケアマネージャー(姉は要支援1だった)と相談して、急激に
身体の状況が変わったので介護度を見直してもらい、手厚いケアが受けられるように!と画策の結果…

新しいケアマネさんは『在宅老人ホーム』というセットパッケージを持つ事業所の方。
巡回介護(ヘルパー)、訪問診療、訪問看護等を組み合わせて、自宅にいながらホームにいるような
サービスを受けられる、というもの…だそう。
ちなみに、23区内の限られた地域でのみ受けられるセットパッケージサービスだとか。
要は、受け入れる施設が極端に少ないから。
加えて、パンデミックの影響で病院がキャパオーバーになり、自宅へ戻すための環境整備が進んだ、
とでも言いましょうか。

で、『在宅老人ホーム』。

ふーん…
なんでもいい、「聞かない」姉の希望が叶うならお世話になろう。
これまで彼女は、自宅のお風呂で入浴を一切しませんでした。
銭湯に通っていたんです。
何でも自宅のお風呂で友達が亡くなったとかでそれだけはイヤだというのですが、まぁ家族に
言わせれば、89歳にもなって独居の時点でまぁアウトな訳で。
簡単に言うと、有事に「着衣か真っ裸か」ただそれだけの差。
とりあえず今回、自宅でまだ暮らすなら『自宅お風呂の開通及び使用』を条件にしました。
何せ4年ほど前に引っ越して以来、1度も使っておらず物置きになっていました。
退院の翌日、早速訪問看護士さんによる入浴のチャンスがあったにもかかわらず…
早速断っていました(頑固)。
姪がまず風呂場で足湯をし、むくんだ足を温かいお湯でねぎらったところ、気分が良かったようで、
その次のお風呂のチャンスにはお世話になり、内湯で入浴をしたようです。
なんて世話が焼けるんだ…

動けないもどかしさと、日によってだいぶ違う体調、認知的な問題はかなり少ない…つまりかなり
「ハッキリ」しているのでだいぶ気に入らないとは思うんです。

もはや外出は難しいけど、横浜を田舎とこき下ろしあんなところに行けるかと言い放ち
(言う通り横浜は田舎ですよ笑)
体調悪い時は全然動けないからおさんどん無理なのに、施設は絶対に嫌だと自宅を好むのもわからない

仕方ない心模様は彼女にしかわからない。
いいです姉の望み通りにしてやります。
そうはいっても、姉は不服だろうと思いますが。

「区切り」つづき

夫が福祉車両専門店へ、4年弱お世話になったリフト付きワンボックスを『返しに』行ってきました。
専門店に戻せば、使いたい人が必ずいるはずです。
お店に電話で相談した時と同様、お店の人は恐縮しきり…加えて販売時よりキレイになって帰ってきた
んじゃないかと驚きを隠せない様子だったといいます。
だってボディは2回ほど磨いたし、白内障(笑)もレンズ交換したし。
洗車機でしたけど、普段からこまめに掃除していました。

「 “捨てない” のが自分の生業だから、当たり前のことです。」

と夫は話したそうですが、お店の方曰くこんな風に車が戻ってきたのは初めてなんだそうです。
みんな廃車しちゃうの?
そこいらの中古車屋に渡したところで、活かせないと思うけど…


さて、suica を渡しそびれて帰宅の道中を心配していた私ですが、無事帰ってきたものの…

クセで領収証を発行したまでは良かったのですが(要らないけど笑)、乗車券とそっくりのソレを
自動改札機に通そうとしてゲートが開かず(そりゃそうだ)、結局駅員さんのご厄介になったそうで。
肝心の乗車券は、券売機前にひらり落っこっていたそうです…

区切り

昨年のまだ暑かった頃、義兄がこの世を去りました。
多発性骨髄腫の発見が遅れて車椅子の生活になって以来、蕨の自宅で暮らすことは難しくなり、
川口の施設へ入所 → 通院は私が担いました。
施設が金庫保管するような神経質な薬を使っていたので、原則2週に1回、外来での経過観察が
必要でした。
数値に疑問があれば投薬はすぐ中止、翌週また受診して経過を確認…となると体調が安定するまで
毎週のように通っていました。

あれだけ自由にフラフラしていた人が、弟(夫)の海外競技出場にも同行して楽しんでいた人が、
ある日を境に歩けなくなった…多くは語らない人でしたが思うところは当然あったでしょう。
感染症の蔓延も手伝って、弱ったところを見られず済んだのはせめてもの慰みだったかもしれない、
そんな風に思っていました。

そんな通院に毎度使っていたのが、ワンボックス。
リヤゲートを開けるとスロープがたたまれていて、出し入れに合わせて後部の車高が上下するいわゆる
福祉車両でした。
義兄がもう歩けない=運転できない とわかった瞬間にそれまで乗っていた車は速攻処分
して、
購入したものです。
福祉事業所が通所の送迎等に使っていたリース車両で、リースアップに伴い放出されたもの。
通所の送迎ですから、走行距離はたかが知れています。
福祉車両の専門店に相談して、選びました。


そしてお役御免となったこのワンボックス。
「手元に残す」という選択肢もなくはなかったのですが、前述の通りリフトが付いているので重い。
それと当然ですが車椅子が2台まで固定できる作りになっているので、室内に広大な空間があります。
自転車が趣味の人なら、塩梅いいレジャーの車となり得るかもしれないけど…
処分することにしました。
夫にしても私にしても、離れてはいたけど割と全力で向き合ってきた4年間だったので、この車は
ある意味思い入れが強くなっていましたが、でも。
家族ががっぷり四つで関わる介護をするにはこういう車は必須。
我々が持っているより専門店へ戻して、そういう家族の元へ渡るなら。
(車屋が持ってたんだから、整備はちゃんとしてるしね笑)
そう思って、買った店へ夫が電話しました。

担当者はやや驚いていたようだった、と夫の談。
「買い取りとかは厳しいんですよ…」
そんなことを求めてるわけではないことを伝え(こちらが業者である事も承知)、十分使えるから
次、どこかで役に立てばと思って戻そうと思っていることを告げ。
委任状・譲渡証明書に捺印したものと一緒に持ち込みたい、と申し入れました。
先方は恐縮しきり、話はまとまって今日、午後にも持ち込む予定です。
…というのも、今日は義兄の上(夫の一番上の姉)の外来付き添いの日。
巣鴨の自宅へ迎えに行き、広尾の日赤で受診→送り届けるのがルーティーン。
今日はそこから、福祉車両専門店(埼玉県北本市)まで足を伸ばして車を置いてきます。

朝、見送る側も見送られる側も、ちょっとしんみり。
家の中でまた一つ、区切りがつく…そんな朝でした。

ところで、帰り電車なんだけど…大丈夫かしら。
(湘南新宿ラインで大船まで1本だから、さすがにヘーキか笑)

いけない!
suica を持たせるのを忘れました…切符買えるかな。

「つなぐ」仕事

昨日は日中、家族の用件で他出していました。
巣鴨で独居の姉(88歳)の「元気なうちに姪や甥と会っておきたい」というたっての希望で、招集を
かけ(笑)、東京駅八重洲口から徒歩4分のホテルのレストランで膳を囲みました。

遠くは大阪、長野から駆けつけてくれました。
SNS などの手軽なツールが溢れ、電話で話すことすら少なくなってきた昨今、

「わざわざ」会う

すごくいい会でした。
姉は家で過ごすことが多く殆ど出かけないので、出先では自宅にいるときのような「すぐ横になる」
ことができず少々疲れたようですが、そんなの忘れてしまうほどに10人ほどで会って美味しく楽しく
過ごした時間は、彼女を元気にしました。
家族があって、今の自分があります。
虫がわく、といいますがその虫だって、理由(種)がなければそこにはわきません。
己がそこにあるのには、脈々と繋がってきた命の奇跡があるんです。
それを感謝できる、昨日はそんな会でした。

いわゆる食事会、肩肘張らずに出かけましたが女房殿は姉から譲り受けた着物で出かけました。
当日になってしつけ糸抜いてた…笑
まだ姉が仕事をしていた頃に作ったものですから、おそらく今の女房殿と同じくらいの年恰好の頃
作った着物でしょう。
姉は小さい人ですが、呉服屋さんに

「自分の着丈で作っちゃったら、誰も貰ってくれないよ!」

と忠告され、褄下こそ彼女のサイズですが、着丈も裄も不思議と気持〜ち短い程度。
クリーム地に毘沙門亀甲ベースの大島紬、米寿を口実に集まってもらったので何ともお誂え向き。
帯は私の母が締めていた名古屋帯を合わせて、朱の帯締めと金茶の帯揚げ(情報提供:女房殿)で
譲り受け三昧の装いが出来上がりました。

毘沙門天…七福神の一神に数えられ、財宝や福徳をもたらしてくださるという神様。
その甲冑の文様に使われているのがこの毘沙門亀甲。
譲り受けた人のお祝いの席で袖を通す…譲った人も譲られた人も、着物も嬉しい出来事でした。

姉は姉で、昨秋亡くなった兄(彼女にとってはすぐ下の弟)の嫁さんが縫ってくれたテイラーメイドの
コートを着て出かけました。
体に沿うように作ったその頃を思うと少し小さくなった姉ですが、当時の流行は肩パットがしっかり
入っていて、奇しくもそれに助けられ着姿はいい塩梅でした。
縁のある人が集まる日に、箪笥からそれを選んで袖を通す…いい話だと思いませんか?

***
この年末年始は、車を降りる話が何件も舞い込みました。
年齢的なもの、生活の変化…理由は様々ですが、お声掛け頂けてありがたいです。
我々が手塩にかけてお世話してきた車を、乗ってくださる/乗りたい方の元へ橋渡しができます。

「今と昔」時間をつなぐ、人と車をつなぐ、人と人とのご縁をつなぐ。
我々の仕事は、車を整えることだけではありません。
感性を研ぎ澄まして、研究を怠らず、倫理感も常に勉強しながら1台1台向き合っていきます。
それには、人に支えられる毎日を感謝できる心根がなければ。
昨日、膳を囲みながらそんなことを考えていました。

はー、他人事と思えない

今日は定休。
ですが、家の用件で女房殿と出かけました。
思いのほか早く帰宅できて、車で戻ってきたら…

路地の向こうに、トボトボおぼつかなく歩くお年寄りが1人…向こうへ歩いていくので顔は見えない。
女房殿が「この通りにあんな雰囲氣の人、居たっけな…?」
気になりながら一旦、家の中へ。
車に載せた片付け物を下ろしに再び外へ行くと、さっきのお年寄りが戻ってきてちょうど拙宅の前。

たまらず私は声をかけました。
どこから来たのか
お名前は
でも、なんだか言ってることがおかしい…

電車に乗ってきた(そんなわけないよ、部屋着に突っかけ姿だし)
でも、話すうちにだんだん「これは合ってるんじゃない?」と思えることを話しだした。
おばあちゃん何年生まれ?
おばあちゃん歩いてきたんじゃない?
おばあちゃんココは高舟台だよ?
2丁目に住んでるの?

するとピピーンと回路が繋がったのか、2丁目に続く住所をペロっと言った。
やった!
町内会名簿を持ってくるよう家の中にいた女房殿を呼び、その住所を探すと…
おばあちゃん… X X さん?

「そう!あら何でわかったの?」

少しの距離でしたが車に乗せて、 X X さん宅へ。
すると門のところでご主人?らしき人が不安げにキョロキョロしてました。

よかった〜

ひょいと目を離した隙だったのかな?全く事情を存じませんが、その人は
「どこ行っちゃったんだろう…」
と、どうしてよいやらと門のところでおなかをさすっていました。
我が家の周りは東西には高低差がなく、おばあちゃんは平らなところを西(拙宅のほう)へ進んだ。
家を出て、東へ足を向けてたら?
住民が『中央道』と呼ぶ車通りの多い道へ出てしまうので…フラフラっと出たらマジ危なかった。
南北には高低差があるので(高台です)、南へ下ってたらきっとあの脚取りなら転んでた。
いろいろ、たまたま、ツイてた…

認知症を患った母を在宅で看た経験もあり、他人事とは思えません。
女房殿は更に心配していて…

デイサービスとか、行ってるかな?
送迎付きのお出かけが定期的にあれば、家族の負担も減るんだけど…
(かといって、毎日って訳にもいかないから何とも言えないけど…)