ばっちり。

よみがえりましたー
調子いいー

おや後方に『本番車』。
いい加減手をつけないと…

***
Mk1 のサイドブレーキを支度しています。
フライオフになっています。

「区切り」つづき

夫が福祉車両専門店へ、4年弱お世話になったリフト付きワンボックスを『返しに』行ってきました。
専門店に戻せば、使いたい人が必ずいるはずです。
お店に電話で相談した時と同様、お店の人は恐縮しきり…加えて販売時よりキレイになって帰ってきた
んじゃないかと驚きを隠せない様子だったといいます。
だってボディは2回ほど磨いたし、白内障(笑)もレンズ交換したし。
洗車機でしたけど、普段からこまめに掃除していました。

「 “捨てない” のが自分の生業だから、当たり前のことです。」

と夫は話したそうですが、お店の方曰くこんな風に車が戻ってきたのは初めてなんだそうです。
みんな廃車しちゃうの?
そこいらの中古車屋に渡したところで、活かせないと思うけど…


さて、suica を渡しそびれて帰宅の道中を心配していた私ですが、無事帰ってきたものの…

クセで領収証を発行したまでは良かったのですが(要らないけど笑)、乗車券とそっくりのソレを
自動改札機に通そうとしてゲートが開かず(そりゃそうだ)、結局駅員さんのご厄介になったそうで。
肝心の乗車券は、券売機前にひらり落っこっていたそうです…

区切り

昨年のまだ暑かった頃、義兄がこの世を去りました。
多発性骨髄腫の発見が遅れて車椅子の生活になって以来、蕨の自宅で暮らすことは難しくなり、
川口の施設へ入所 → 通院は私が担いました。
施設が金庫保管するような神経質な薬を使っていたので、原則2週に1回、外来での経過観察が
必要でした。
数値に疑問があれば投薬はすぐ中止、翌週また受診して経過を確認…となると体調が安定するまで
毎週のように通っていました。

あれだけ自由にフラフラしていた人が、弟(夫)の海外競技出場にも同行して楽しんでいた人が、
ある日を境に歩けなくなった…多くは語らない人でしたが思うところは当然あったでしょう。
感染症の蔓延も手伝って、弱ったところを見られず済んだのはせめてもの慰みだったかもしれない、
そんな風に思っていました。

そんな通院に毎度使っていたのが、ワンボックス。
リヤゲートを開けるとスロープがたたまれていて、出し入れに合わせて後部の車高が上下するいわゆる
福祉車両でした。
義兄がもう歩けない=運転できない とわかった瞬間にそれまで乗っていた車は速攻処分
して、
購入したものです。
福祉事業所が通所の送迎等に使っていたリース車両で、リースアップに伴い放出されたもの。
通所の送迎ですから、走行距離はたかが知れています。
福祉車両の専門店に相談して、選びました。


そしてお役御免となったこのワンボックス。
「手元に残す」という選択肢もなくはなかったのですが、前述の通りリフトが付いているので重い。
それと当然ですが車椅子が2台まで固定できる作りになっているので、室内に広大な空間があります。
自転車が趣味の人なら、塩梅いいレジャーの車となり得るかもしれないけど…
処分することにしました。
夫にしても私にしても、離れてはいたけど割と全力で向き合ってきた4年間だったので、この車は
ある意味思い入れが強くなっていましたが、でも。
家族ががっぷり四つで関わる介護をするにはこういう車は必須。
我々が持っているより専門店へ戻して、そういう家族の元へ渡るなら。
(車屋が持ってたんだから、整備はちゃんとしてるしね笑)
そう思って、買った店へ夫が電話しました。

担当者はやや驚いていたようだった、と夫の談。
「買い取りとかは厳しいんですよ…」
そんなことを求めてるわけではないことを伝え(こちらが業者である事も承知)、十分使えるから
次、どこかで役に立てばと思って戻そうと思っていることを告げ。
委任状・譲渡証明書に捺印したものと一緒に持ち込みたい、と申し入れました。
先方は恐縮しきり、話はまとまって今日、午後にも持ち込む予定です。
…というのも、今日は義兄の上(夫の一番上の姉)の外来付き添いの日。
巣鴨の自宅へ迎えに行き、広尾の日赤で受診→送り届けるのがルーティーン。
今日はそこから、福祉車両専門店(埼玉県北本市)まで足を伸ばして車を置いてきます。

朝、見送る側も見送られる側も、ちょっとしんみり。
家の中でまた一つ、区切りがつく…そんな朝でした。

ところで、帰り電車なんだけど…大丈夫かしら。
(湘南新宿ラインで大船まで1本だから、さすがにヘーキか笑)

いけない!
suica を持たせるのを忘れました…切符買えるかな。

そうだ、お墓行こう2022年末

早いもので年が改まって半月が経とうとしていますが、年末の店主ファミリーの恒例行事を記録
がてらココに残しておこうと思います。
どん詰まりの墓参(石川県)。
去年はあちらで元旦を迎えました(コンビニメシだったけど笑)が、今年は1泊で帰ってくることに
したので、最低限の支度(煮〆)をして、お正月っぽくお花を活けて出かけました。
松は五葉松。
2種類の菊の存在感がアレンジを引き締めてるように思ってますが、どうでしょう…


***
11月に義兄(夫の長兄)を納骨して、ひと段落。
最初の年の瀬ですので菩提寺とお墓と、石屋さんと巡ります。

暮れの恒例パーティーがハネて、帰宅して帯を解いて(今年も和装で行きました)お風呂に入って
仮眠して、午前2時過ぎに横浜を出ました。
私の運転で横浜スタート(岐阜から北は雪かもしれないのであちらに行ってからは交代したくない)、
以外と車の量が多い…トラックばっかかと思ったけど全然で。
こんな時間だけど、出た時間はいい判断だったと安堵。

岡崎で給油、そこで運転を替わって北上します。
クリスマス寒波でどっかり雪の降ったあと。
郡上八幡の先から、窓の外の風景は真っ白です…

予報では、1泊2日の旅行中にはあたたかめで雪にならない(雨)ハズですがどうだろう。
もちろんスノーブーツは全員持参しています。

夜中の2時に出た甲斐あって、朝食は近江町市場で海の幸と金沢おでんを頂きました。
金沢おでん…車麩とか、たことか、あと赤巻きって呼んでるっぽい朱 / 白のうずまき状のかまぼこが
入ってるのがおなじみの景色。

あったまってさぁ、ミッション開始。
菩提寺でご挨拶
お墓を清めて、正月のしつらいを済ませ

石屋につけ届け(お墓の引越しでまだお世話になるので)
…と思ったら、墓誌の文字間違ってるしね!
しかも納骨でお出かけ中だったので、菓子折りに書き置きを残して、了。
お昼を少し過ぎた頃には、ご先祖廻りのミッションは全て済ませました。

12月30日ともなると休館 / 休業の場所が少なくないので、観光して回るにも限りがあります。
兼六園に隣接する、前田家ゆかりの歴史的建造物が歴史博物館的に公開されてるんですが、年末年始は
やってないし…
いくつか残っている武家屋敷、やはりほとんど閉まってる。
夫の長女が建築を生業にしていることもあり、建物を見て回るのが(そもそも私も大好き)金沢の
楽しみの一なのですが…
遅めの昼食をとりながらひがし茶屋街を散歩、お茶屋さんの建物をそのまま公開している『旧中や』へ。
三つ折りのリーフレットを貰って、建物を見て回ります。
当時の茶屋街のお茶屋さんの見取り図が小さく載っていて、変体仮名を習字で学んでいる娘と
「コレは読めるね、こっちは何て読むんだ?」…

これは電気が通ってからのでしょうから明治以降のものでしょうが、でも菊菱の細い飾りが施された
電灯、細かいところまで行き届いています。

私が小さい頃はまだこういう建具無くはなかったなぁ…
お手洗いの木の扉です。

窓に入っているガラス、おそらくかなり古いものなので表面が波打ってるんです。
味わいもあるし、当時の最先端だったんだろうなぁと推察できます。
歴史的建造物は、当時の手仕事のぎっしり詰まった玉手箱のようで、意匠や色使いも含めてとても
惹かれます。

ひがし茶屋街をもう少しお散歩。
どのお店も新しい年を迎える支度は万端で、思い思いの門松が目に鮮やかです。
ド定番の門松から、さすが金沢…と唸るようなのまで。
洒落てますよね…

海鮮ものばっかりも飽きるので、晩は変化球にお肉を食べて大晦日の市場に備えます。


さて、明けて大晦日。
8 時前には近江町市場へ。
お目当てのお寿司屋さんの開店は 8am なので、どこで何を買おうか物色しながら時間を潰します。
炙りのどぐろ丼、だの海鮮全部盛り丼、だのとたらふく食べたらお正月のお使いをします。
八百屋さんであれこれ購入。
加賀れんこん、加賀春菊、金時草、立派な椎茸、柚子、わさび、蕪(大きかったぁ…)それから
生麩(蓬・粟)も買いました。
八百屋さんで、飾り用の五葉松とか南天とか買えるんだ〜南天は拙宅の犬走りに勝手に生えたのが
育ってきたから、買わなくても大丈夫 笑

加賀れんこんは帰宅したから花れんこんにして、生麩は煮ます。
炊いて出かけた煮〆と合わせて、元日には…こんな感じになりました ❤︎

日本海の冬の幸は、カニと鰤(ぶり)。
11月に納骨に行った時にはカニの解禁直後で、市場も街もカニフィーバーしてました笑
市場といえば新鮮なまぐろ!と思うのは、外海(太平洋)に向いて暮らしている人の話。
日本海で冬のおごちそうは何と言っても寒鰤!
我が家はみんな鰤大好きですから、買っていかない法はない!
この時期は必ず冊(さく)で売ってるので買って帰ります。
お刺身で、表面の色が変わりやすいので変わってきたらたたき(炙り)にしてポン酢で食べるのも
また一興…。
隣には立派な切り身に、カマも一山に3つ入って売ってます(安い)。

手前のイカも立派ですよね…
別の店で立派なゲソを山盛り買いました笑

混んできました。
わーっと買い物したので、さっさと退散します。
930am には、金沢東IC から北陸道に乗っていました。
だいぶ余裕があります…雪はあちこちに積んでありますが道路は乾いています…
1015am 寄り道して、白川郷(岐阜北部)に到着!
合掌造りに雪の残る、そんな山あいの冬の風景に出会ってきました。

驚いたのは、東アジア系の観光客の多いこと!
名古屋や、大阪あたりの大型観光バスが駐車場にひしめき合ってると思ったら…そういうことらしい。
五平餅かじりながら集落をぐるり散策、栃餅を見つけたので迷わず購入してプチ観光はおしまい。
1130am には白川郷を後にしました。

あとはひたすら走って東名の夕方の渋滞をギリギリ回避!6pm 前には家に着きました。
明けてお元日。
少しだけゆっくり起きてから、出汁をひいてお雑煮の支度をして、ささやかですがお祝い膳。
(我が家には雑煮椀がない…根来塗のデカいお椀でいただきます笑)

店主の家の年越し、慌ただしくも平和で穏やかなものとなりました。
こうやって年を越せたことに改めて感謝しながら…小正月に年末年始の記録を投稿します笑

どんがら

先日、私の後ろで誰か(ボディスタッフ)が Fiat 500 をバラしていましたが、

どんがらになったので、昨日のうちにスチーム洗浄しました。
近々、ボディワークに入ります。
色は…フェラーリの赤!
の予定。

これまで、自分のお気に入りの車は白しか乗ったことがない方がオーナー。
今回はガラリと気持ちを変えるそうです…気が変わらないといいなぁ。

2019ラリーオブ嬬恋ふりかえり 

2018年にマン島ラリーの中止を喰らった我々。
恨みがましく傷心旅行に行っても全く意味がないので、その時間を国内で使うラリー車の制作に充てる
ことにしました。
それが、2018年の9月のこと。
11月には、全日本の最終戦(当時)新城ラリーに参戦しました。

年が明けて2月。
ラリーオブ嬬恋にエントリー。
スノーラリーです。
スパイクタイヤは、国際格式の一部の車両以外は装着を許されていません。
四駆の皆さんはラリスタ(ラリースタッドレスタイヤ)っていう有能な武器があるので、スイスイ
走れます。
二駆は…ラリスタじゃあんまり効果ない…ので、まさかのチェーン。
しかも路面を痛めるからという理由で、ステージの前後で着脱を要求されます。
チェーンの着脱なんてしてられませんから、バチバチに張ったチェーンをかませたタイヤを2本積んで
ステージを走る前に付け替え、走り終わったら付け替え…
ラリーをしに行ったんだか、タイヤ交換に行ったんだか、わからなくなるほどにタイヤを付けたり
外したりしていました。
一応スパイクタイヤを持参し、車検の時に掛け合ったものの通りませんでした。

小さな車、の割にはトランクの容量は優秀ですがチェーンつきのタイヤとなると話は別。
12インチじゃ積めないので、最低地上高がきになるところですが10インチしか選択の余地がなく…

四駆はスイスイ、二駆はタイヤ交換に時間を取られ。
でも、与えられている時間は同じ…不公平だし、安全上の問題も出てきます。
(ラリーは時間に支配されるスポーツ、与えられる時間には正確でないとペナルティを受けます)
加えて1日目夕方ーナイトを走った段階で、チェーンがだいぶ削れてきていてあと2日はとても
持つまい、ということと車体の損傷(オーバーフェンダー廻り)が見受けられて色々危ない…そんな
状況になってきました。

2日目の朝、サービスのスタッフが朝風呂で競技役員の1人と現状の話をした話をしたそうで、
入浴後に我々の部屋へやってきました。
現状を文面で提出してもらえれば考慮する、という話を取り付けたという報告でした。
すぐさまラリーの HQ(ヘッドクォーター)へ提出、賞典外という形でスパイクタイヤの使用を
認めてくれました。
公式通知が出ました。

タイヤの付け外しは相変わらずだったものの、いつ切れるかもしれないチェーンで競技をするという
事態は免れました。

YouTube で実況を配信していたナイトステージで
ご丁寧にスペクテイターを入れている、照明完備のエリアで
フィニッシュまであと少しというところで
押すハメになろうとは…
(ちょっとアクセルを躊躇したら皆さんが蹴っていった雪の山へ向かって行ってしまい車高低いんで
カメになってしまいました。
他にそんなドラマチック?なことになったクルーはおらず…笑)

セレモニアルフィニッシュで、外へ出て(笑)是非応えたらいいち言われ

さぁ、ともかくl今年の1発目、真冬のお祭りまであと3週間です。

季節は粛々と巡る

あんまり早起きではありませんが、リビングダイニングの窓から見た朝の空。

朝イチの工場。
夜露を帯びたボディーカバーが、霜げています。
松も明け寒に入って1年で一番寒いとされる時期。
今年はまだ水道はやられて(凍って)いませんが、ガレージの土間はなかなか厳しい寒さです。

季節は粛々と巡っていきます。
ついこのあいだは「よいお年を」なんて言ってたのに、もうすこしでお元日から半月…
日の入りも、12月に比べて心なしか遅くなっているように感じます。

でも、今日もいつもと変わらず店主はエンジンを組んでいます。
(奥の Fiat 500 も、まずはボディから作業にかかります)

最後に、年明けからシステム変わって車検証ったらこんなに小さく!
こりゃぁ…なくすね!笑

雪のラリーにエントリーしました!

この3年、人類は感染症に翻弄され、自由に行動ができなくなったり人と人との交流が「悪」と
みなされたり、とにかくしっちゃかめっちゃかでした。
マン島くらいでしか起こらなかったラリーの『中止』(都合3回も喰らったんで自虐ネタです)が
世界の各地で起きたり、”postpone” (延期)”Pandemic”(感染症の世界規模での流行)という
単語の意味を知ることになったり…。

日本の「変えられない」気質にはいささかうんざりしますが、少しずつ(一進一退?)ですが活動が
再開してきています。
雪の嬬恋ラリーも、昨年一昨年と残念ながら開催されず、せっかく北欧から買ったスパイクタイヤを
寝かしていました。
(スパイクタイヤは寝かすと味が出るので、別にいいんですけど笑)

えスパイク?
そう、二輪駆動はスパイクタイヤの使用を認められているんです。
初めて出場した2019年にドラマがありまして…
10年以上書き綴ったブログが一昨年の晩秋に飛んじゃったので、雪のラリーのレポートも消えました。
ので、ざっと別の記事でおさらいしようと思ってますので、ご興味ある方はまた読みに来てください。

調整が必要で、出られるか微妙でしたがメドが立ったので、ミニマム編隊(クルー+サービス2名)
ですが、3年ぶりに雪のラリー行ってきます!

ラリーオブ嬬恋公式ウェブサイト
3年前のフォトコンテスト入賞4作品がウェブサイトのトップを飾っています。
Team Arai の WRX
555 のランエボ
Gazoo Racing のVitz
全日本ではおなじみのチーム`車両に混ざって、なんともう1枚の被写体が我々なんです。
ちなみに他の3台が勇ましく雪を蹴る絵面なのに対し、我々が被写体の写真は『静』のショット。
雪(白) / 晴れ渡った空(青) / マーシャルの防寒装備(赤)
そこに、派手なカラーリングもないシンプルなミニ(緑)
きっとこのコントラストの妙が受賞の理由だと、勝手に思ってますがどうでしょう…
3年開催できなかったおかげで実は3年もの間、静かにラリーオブ嬬恋の表紙を飾っていました笑
(ラリーオブ嬬恋公式ウェブサイトより)

雪を走るミニはウケがいいんです。
全日本でオープンクラスのおなじみになりつつあるので、久々の雪でミニのパフォーマンスを是非見て
欲しいです。