2020年春、新型コロナウィルス感染症の観戦拡大予防の為、ヨーロッパはじめ各国で2ヶ月弱の年封鎖などの対策が講じられました。5月下旬から徐々に緩和の傾向、それに倣うかのように日本も段階的に緊急事態宣言を解除、6月からは学校もだんだんと通常運営に戻していくようです。とはいえ社会が特効薬や免疫を得たわけではなく、いずれ得られるにしても感染拡大前には戻らないと考えるべきでしょう。

日本では厳格な封鎖はされませんでしたがそれでも、需要と供給/物流の面で不安要素も少なからずありました。一部では混乱やパニックが起き、世の中の仕組みの脆弱さを思い知ったことは記憶に新しいところです。豊かになんでも手に入ったこれまでとは、明らかに毎日が変わってくると思います。どこに作らせたら安く済むか…と世界地図を眺める時代はもう終わりました。技術を自国に保ち使い捨てまくりはやめなければ、いずれ滅びるでしょう。なんでも古くなるのは当たり前。時間の立ったものを維持する工夫が必要になってきます。少し前まではしていたことなのに、『売る』という経済活動に呑み込まれ、長く保つことはともすれば『悪』…これでは技術を守れる道理もなく、そこにかかる手間・技術には価値を見出せない世の中に成り下がりました。世界規模の困難の只中、まさにそれに一喜一憂しパニックになりました。今までがいかに『異常』だったか、楽チンだからそれに慣れてしまっていた我々。実感した今こそ、改めるべきです。

グレイスでは、古い車のメンテナンスについてモータースポーツの領域にまで視野を広げて取り組んできました。モータースポーツはある意味特殊な道具を使うスポーツで、パフォーマンスの質は、ある程度マシンの性能に因る部分が大きいと言えましょう。性能を向上させる時に『チューニング』とよく言いますが、音楽の用語で使う tune 音色・旋律・曲に ing をつけて名詞化させたもの、”tuning” 元は同調・調律の意味。いろんな音の調和を取るように、車の業界で使うチューニングも同じ、いろんな機構…サスペンション・タイヤの組み合わせ・エンジンスペック・ギヤ比、エキゾーストにどれを選ぶ?などなど…全ては各機構とのバランスが車のまとまりを決めるのです。チューニングと聞くととかく、エンジンスペックを上げることだけをイメージする人が多いようですが、それだけでは残念ながら完結しません。つまり各機構毎の経験値を結集して真のチューニングになるわけです。パフォーマンスの質…普段使いを意識したクリーンで車にも負荷の少ない『チューニング』、スポーツ性能を限りなく引き出す『チューニング』…要は、目標をどう定めるかです。
加えて、古い車の泣きどころと思われがちで課題と言われる『環境に配慮』、果たして責められるばかり何でしょうか?上で少し触れたように、車をトータルでバランス取りをすれば、環境に配慮したクリーンな車は十分に実現できます。何より、使い続けられる(=メンテナンスが施されている)ということは捨てないということ。それだけでも価値があります。とはいえ、古い車を100%当時のままに維持するのは不可能です。当時の技術が、現在ではナンセンスであることも少なくありません。そういう時には頭を使って手を加えて、社会に即した存在に1台1台改善したり変化させていく…例えば現代の道路の流れに対するものとか、排気ガスを含めた環境への適応…メンテナンスする側は常に新しい基準や法律を知り、倫理観も学びながらそこに技術を絞っていく必要があります。

現代車の基本はココ(古い車)にあります。今改めて国内競技にまで幅を広げているのは、それを実証するためでもあります。例えば運動性能ひとつとっても、我々の携わる車達(クラシックカー)の後継車達がものすごいテクニックを使った車を作ってきても、ひとたび状況が厳しくなったり、条件が限られたりすれば性能をまともに発揮できない…そんなケースをいくらでも見てきました。つまりは『軽い』『小さい』『シンプル』…要は重力に逆らわずものの道理に従ってしっかり作られてるものが素直に速い、加えて人間の器量にあったものが最終的には優位に立てる、それを示していくのが我々の役目です。今日新しかったものも、夜が明ければ古くなります。情報も同じ。あれもこれも手を出さず、かれこれ30年以上も前から同じ車をずっと続けているのは、広く浅くではなく狭くても深く、常に新しいものに触れ続けるため。情報の蓄積こそが宝だからです。

普段使いに於いても競技のフィールドでも、我々が扱う車がいろんな意味で『現代車に勝つ』必要はありません。タイヤが4つ付いていて人が乗れる乗り物ではありますがもはや、同じジャンルとは思っていません。主体がどこにあるか ー そこから大きく袂を分かってしまった、というのが我々の見解です。今こそ、先人というべき古い車たちを、もっと敬った方がいいと思います。設計者たちも開発者たちも、目先の利益や目的に本質を乗っ取られていることにいい加減気づいた方がいいと思います。長いスパンで物事を見た方がいいんじゃないかな…今、排出するガス?それより製造過程で発生させてしまってるガス、更には電気自動車が将来的にメンテナンスできるのか?中古車として国内外で需要があるのか…?食っていくための産業なら、すぐ目の前の利益に踊らされるのではなく、長く使うために直す技術を社会に保ち、包括的・中長期的な需要も含めて管理する、それでこそ経済活動と考えます。自動車メーカーの役目って、そこなんじゃないんでしょうか。あまりにも現状は短絡的すぎです。環境ガーエコカーガーと言いながら、やっていることは真反対。口と腹が全く違う。自動車税を割増して先人を迫害する前に、自動車文化の綿々と受け継ぐ国々に目をやって、彼らがやってることを学んで欲しいものです。日本の現状は実にのんきです。物事のウラにある真意をちゃんとみるべきです。

さて。チューニングや、手を加えるにあたってよく騒がれるのが『オリジナルかどうか』っていうこと。でもオリジナルが全てではないとグレイスは考えます。なぜなら前でも少し触れましたが、今じゃやらない(やっちゃいけない/できない)ことだって少なくありません。技術が進んだからなのか、部品の材質ゆえか、はたまた燃料の違いなのか…熟考して見極めなければなりません。従ってやっていくことはかなり高度で難しいことにならざるを得ませんが、我々ですら続ける中で見抜いてきたし、身につけてお客様に提供できる状況にあります。実のところ、車はきちんとやれば環境を著しく汚すことはありません。むしろ、積極的に新しいものを使い捨てていることの方がよほども問題ですし、やれ装備だ安全の為だと大きくなりすぎて(でも室内はいうほど広くない)すれ違えないような車に乗っているのは、ちっとも安全じゃないしスマートでもありませんよね。ものが積める積めない、入る入らない…とかくそこに難癖をつけたがりますが、かつては小さいからルーフキャリアで補って工夫するなどして、便利な道具をさらに便利に有効活用してきました。ほんの数十年前のことです。今、その頃の考え方に立ち返ってみるべきではないでしょうか…もっと「シンプル」に。

従事する側(つまりこちら側、お足を頂戴する側の人間)はもっと責任感をもって、プライドをもって、触るべきです。幅広く手を出すのではなく、分野毎にスペシャリストがいて欲しいと節に思います。我々はこの度、新しい機種に着手しました。長い時間をかけて水面下で吟味してきた結果、この車に可能性を見出すに至りました。そうなったからには我々は、これまでしてきたのと同じレベルに達するまでやる、という決意をして扉を開けまさに今、始動したところであります。

プロフェッショナルの側が、車種やメーカーに特化した人材同士意見交換したりジョイントできるような状況にならないと、この業界の先はないと思っています。例えば部品。新品が手に入るのはありがたいのですが、当時と同じ材質を使えない故に部品が短命だ、とか安かろう悪かろうシステムで劣化が早くて困る、そうした悩みが尽きません。私は、踏み込んだ取引をする部品メーカー/サプライヤーには直接出向くことにしています。我々のやっていることと、求める品質を伝えるためです。顔を見て直接伝え、相手の反応を知るのもとても有益です。願わくば同じ立場の同業者が、現場で起きている同じような不具合や困り事を『声』として数多くあげれば、部品の品質向上などにつながり結果、車が遺(のこ)る確率も上がろうというものです。ガソリンも違う、オイルも違う、材質もタイヤも道路も…でも現代の環境に合わせた大小モディファイをしつつも、車の動きやアイデンティティを損なわないようにするのが各車のスペシャリストの取るべき姿勢でしょう。

2020年は感染症で世界規模での大混乱が巻き起こり、ウイルスひとつで人類はこのザマです。世の中は、そうせざるをえなかったとはいえ、普段なら決断できないような事を数々決断し実行しました。更に一歩踏み込んで、考え直すチャンスを与えてもらっていると考えようではありませんか。世の中はこの先更に、苦しくなるかもしれません。今この時こそ、踏ん張る時だと思っています。新車を家電のようにホイホイ作って使い捨てるのも、もう考える時でしょう。そして我々の携わる古い車は、単なる売買する対象ではなくなったのです。思いつきで、いたずらにいじくったりいい加減なメンテナンスではなく、遺していかなければならないものを触っている、乗っている、そういう自覚が必要だと思っています。仕事をしていて陰に日向に感じることですが、英にしても伊にしても国がその体制を管理して、自動車の歴史を守る/存在を潰さないようにという考えがあり、それがもとで法など整備されています。

さぁ日本はどうでしょう?国の立場で、メーカーの立場で、乗り手の立場においても車をそのように捉えている人が果たしてどれだけいるでしょう?ハッキリ言って…ごく僅かかも。いないと憂いてばかりもいられないので、いないならずっと続けてきた私たちが… それ位の気概がないとダメかもしれません。何事も気付いたその瞬間が運命の分かれ道、またとないチャンスなので、本質に向き合ってみませんか?今はずしたネジ・今交換した部品が 明日、明後日、1年、5年、10年度…どうなっているか、そこまで思いをめぐらせてひとつひとつの作業、工程、操作に気持ちを傾けたいものです。

技術って何でしょう。『知っている』ことは技術とは言いません、知ってるだけ。技術は経験の積み重ねによる確信の数と考えます。今やったこと/起きたことには必ず理由があるわけで、その理由を明確に把握しておくことが大事。裏付けが取れていることが大事。我々の仕事ー車の整備の話をしていますが、何もこれは車の整備に限ったことではありません。全てに通じること。誰の上にも等しく、世界規模でこれ迄とは違う日常が訪れています。そして皆に等しく訪れているチャンス。縮小が徐々に解かれて模索が始まった今、ぼんやり何となくリスタートではなく、シンプルに真剣に毎日と向き合いましょう、人間らしく。きっともっとできることがあるはず、毎日は豊かになるはずです。