なんて憎たらしい

総合病院で、奥さんの付き添いであろう年配の旦那さんが
「外科はどこかな?」
と、別の診療科の窓口で尋ねています。

…あぁ…あそこね、ありがとう。

旦 (後ろから来る杖をつく奥さんらしき人に)ホラ聞けばすぐ教えてくれるだろー
奥 あはーそれが仕事だ

私の前を通って行ったのですが、思わず 「なんて憎たらしい」 と声に出しました。
聞こえたかどうかは知りませんが、年配者としておよそお手本とは程遠い。
身なりも小ぎれいだし、認知の歪みが生じていて、コントロールがきかなくなっているようには
思えませんでした。

なんだかなぁ…

感謝がない

付き添ってくれてる旦那さんにまず、感謝がない。
医療従事者は確かにそれが仕事だけど、いろんな人の力が合わさって世の中回っている。
それがわかってないから、医療従事者に対して感謝どころかあの言い草。

きちんと社会の一員として、社会に参加してこなかったんでしょうか。
人の世は、人と人とのつながりや支え合いなど、時にシンプル時に複雑に関わり合って成り立ってる。
己れひとりで生きてるように言う人もいるけど、絶対違う。

あんな年の取り方はしたくない…気をつけよっ て思いました。
家の中に感謝がないなんて。

「区切り」つづき

夫が福祉車両専門店へ、4年弱お世話になったリフト付きワンボックスを『返しに』行ってきました。
専門店に戻せば、使いたい人が必ずいるはずです。
お店に電話で相談した時と同様、お店の人は恐縮しきり…加えて販売時よりキレイになって帰ってきた
んじゃないかと驚きを隠せない様子だったといいます。
だってボディは2回ほど磨いたし、白内障(笑)もレンズ交換したし。
洗車機でしたけど、普段からこまめに掃除していました。

「 “捨てない” のが自分の生業だから、当たり前のことです。」

と夫は話したそうですが、お店の方曰くこんな風に車が戻ってきたのは初めてなんだそうです。
みんな廃車しちゃうの?
そこいらの中古車屋に渡したところで、活かせないと思うけど…


さて、suica を渡しそびれて帰宅の道中を心配していた私ですが、無事帰ってきたものの…

クセで領収証を発行したまでは良かったのですが(要らないけど笑)、乗車券とそっくりのソレを
自動改札機に通そうとしてゲートが開かず(そりゃそうだ)、結局駅員さんのご厄介になったそうで。
肝心の乗車券は、券売機前にひらり落っこっていたそうです…

区切り

昨年のまだ暑かった頃、義兄がこの世を去りました。
多発性骨髄腫の発見が遅れて車椅子の生活になって以来、蕨の自宅で暮らすことは難しくなり、
川口の施設へ入所 → 通院は私が担いました。
施設が金庫保管するような神経質な薬を使っていたので、原則2週に1回、外来での経過観察が
必要でした。
数値に疑問があれば投薬はすぐ中止、翌週また受診して経過を確認…となると体調が安定するまで
毎週のように通っていました。

あれだけ自由にフラフラしていた人が、弟(夫)の海外競技出場にも同行して楽しんでいた人が、
ある日を境に歩けなくなった…多くは語らない人でしたが思うところは当然あったでしょう。
感染症の蔓延も手伝って、弱ったところを見られず済んだのはせめてもの慰みだったかもしれない、
そんな風に思っていました。

そんな通院に毎度使っていたのが、ワンボックス。
リヤゲートを開けるとスロープがたたまれていて、出し入れに合わせて後部の車高が上下するいわゆる
福祉車両でした。
義兄がもう歩けない=運転できない とわかった瞬間にそれまで乗っていた車は速攻処分
して、
購入したものです。
福祉事業所が通所の送迎等に使っていたリース車両で、リースアップに伴い放出されたもの。
通所の送迎ですから、走行距離はたかが知れています。
福祉車両の専門店に相談して、選びました。


そしてお役御免となったこのワンボックス。
「手元に残す」という選択肢もなくはなかったのですが、前述の通りリフトが付いているので重い。
それと当然ですが車椅子が2台まで固定できる作りになっているので、室内に広大な空間があります。
自転車が趣味の人なら、塩梅いいレジャーの車となり得るかもしれないけど…
処分することにしました。
夫にしても私にしても、離れてはいたけど割と全力で向き合ってきた4年間だったので、この車は
ある意味思い入れが強くなっていましたが、でも。
家族ががっぷり四つで関わる介護をするにはこういう車は必須。
我々が持っているより専門店へ戻して、そういう家族の元へ渡るなら。
(車屋が持ってたんだから、整備はちゃんとしてるしね笑)
そう思って、買った店へ夫が電話しました。

担当者はやや驚いていたようだった、と夫の談。
「買い取りとかは厳しいんですよ…」
そんなことを求めてるわけではないことを伝え(こちらが業者である事も承知)、十分使えるから
次、どこかで役に立てばと思って戻そうと思っていることを告げ。
委任状・譲渡証明書に捺印したものと一緒に持ち込みたい、と申し入れました。
先方は恐縮しきり、話はまとまって今日、午後にも持ち込む予定です。
…というのも、今日は義兄の上(夫の一番上の姉)の外来付き添いの日。
巣鴨の自宅へ迎えに行き、広尾の日赤で受診→送り届けるのがルーティーン。
今日はそこから、福祉車両専門店(埼玉県北本市)まで足を伸ばして車を置いてきます。

朝、見送る側も見送られる側も、ちょっとしんみり。
家の中でまた一つ、区切りがつく…そんな朝でした。

ところで、帰り電車なんだけど…大丈夫かしら。
(湘南新宿ラインで大船まで1本だから、さすがにヘーキか笑)

いけない!
suica を持たせるのを忘れました…切符買えるかな。

季節は粛々と巡る

あんまり早起きではありませんが、リビングダイニングの窓から見た朝の空。

朝イチの工場。
夜露を帯びたボディーカバーが、霜げています。
松も明け寒に入って1年で一番寒いとされる時期。
今年はまだ水道はやられて(凍って)いませんが、ガレージの土間はなかなか厳しい寒さです。

季節は粛々と巡っていきます。
ついこのあいだは「よいお年を」なんて言ってたのに、もうすこしでお元日から半月…
日の入りも、12月に比べて心なしか遅くなっているように感じます。

でも、今日もいつもと変わらず店主はエンジンを組んでいます。
(奥の Fiat 500 も、まずはボディから作業にかかります)

最後に、年明けからシステム変わって車検証ったらこんなに小さく!
こりゃぁ…なくすね!笑

「つなぐ」仕事

昨日は日中、家族の用件で他出していました。
巣鴨で独居の姉(88歳)の「元気なうちに姪や甥と会っておきたい」というたっての希望で、招集を
かけ(笑)、東京駅八重洲口から徒歩4分のホテルのレストランで膳を囲みました。

遠くは大阪、長野から駆けつけてくれました。
SNS などの手軽なツールが溢れ、電話で話すことすら少なくなってきた昨今、

「わざわざ」会う

すごくいい会でした。
姉は家で過ごすことが多く殆ど出かけないので、出先では自宅にいるときのような「すぐ横になる」
ことができず少々疲れたようですが、そんなの忘れてしまうほどに10人ほどで会って美味しく楽しく
過ごした時間は、彼女を元気にしました。
家族があって、今の自分があります。
虫がわく、といいますがその虫だって、理由(種)がなければそこにはわきません。
己がそこにあるのには、脈々と繋がってきた命の奇跡があるんです。
それを感謝できる、昨日はそんな会でした。

いわゆる食事会、肩肘張らずに出かけましたが女房殿は姉から譲り受けた着物で出かけました。
当日になってしつけ糸抜いてた…笑
まだ姉が仕事をしていた頃に作ったものですから、おそらく今の女房殿と同じくらいの年恰好の頃
作った着物でしょう。
姉は小さい人ですが、呉服屋さんに

「自分の着丈で作っちゃったら、誰も貰ってくれないよ!」

と忠告され、褄下こそ彼女のサイズですが、着丈も裄も不思議と気持〜ち短い程度。
クリーム地に毘沙門亀甲ベースの大島紬、米寿を口実に集まってもらったので何ともお誂え向き。
帯は私の母が締めていた名古屋帯を合わせて、朱の帯締めと金茶の帯揚げ(情報提供:女房殿)で
譲り受け三昧の装いが出来上がりました。

毘沙門天…七福神の一神に数えられ、財宝や福徳をもたらしてくださるという神様。
その甲冑の文様に使われているのがこの毘沙門亀甲。
譲り受けた人のお祝いの席で袖を通す…譲った人も譲られた人も、着物も嬉しい出来事でした。

姉は姉で、昨秋亡くなった兄(彼女にとってはすぐ下の弟)の嫁さんが縫ってくれたテイラーメイドの
コートを着て出かけました。
体に沿うように作ったその頃を思うと少し小さくなった姉ですが、当時の流行は肩パットがしっかり
入っていて、奇しくもそれに助けられ着姿はいい塩梅でした。
縁のある人が集まる日に、箪笥からそれを選んで袖を通す…いい話だと思いませんか?

***
この年末年始は、車を降りる話が何件も舞い込みました。
年齢的なもの、生活の変化…理由は様々ですが、お声掛け頂けてありがたいです。
我々が手塩にかけてお世話してきた車を、乗ってくださる/乗りたい方の元へ橋渡しができます。

「今と昔」時間をつなぐ、人と車をつなぐ、人と人とのご縁をつなぐ。
我々の仕事は、車を整えることだけではありません。
感性を研ぎ澄まして、研究を怠らず、倫理感も常に勉強しながら1台1台向き合っていきます。
それには、人に支えられる毎日を感謝できる心根がなければ。
昨日、膳を囲みながらそんなことを考えていました。

松の内 のうちに

女房殿ことわたくし、密かにポチ袋を集めています。
集める、というより30年くらいかけて、たまった…の方が自然かな。
旅先で、和紙の産地だったりすると趣のあるのと出会ったりして、つい。

自分で作ったのものも、あります。
IKEA で買った包装紙に水引の切れっ端で。

あげる人(お年玉とかね)を思ってj袋を選ぶのも、楽しい時間です。

さぁ、正月気分はもう終わり。
松も明けて、本格始動…と思ったら、ナニ3連休って?
もー世の中、休んでばっかり…

巣鴨地蔵尊通商店街

巣鴨で独居を続ける、88歳の夫の姉。
年始の挨拶方々、体調を伺いに行ってきました。
煮〆やら、かに玉やら、ラペやらおかずばっかり詰め合わせて持参、胃を 2/3 取ってるので食べ
られる量には限りがあるのですこ〜しずつお裾分け。
暮れの墓参などひと通り報告して、おいとましました。


時分どき、さぁ何食べよう。
場所は巣鴨…行くしかない『とげぬき地蔵』。

実は私、商店街に行くのは初めて!
オバチャンの原宿って話だけど、私ももうオバチャンの域…
っていうか、かなりの人出!

とげぬき地蔵(高岩寺)の門前、商店街には出店がちらほら出ています。
出店、一年中出てんのかな…匂いが悩ましいマジ美味しそうです。
屋台のあれこれでご飯済ませようと思えば済んじゃう気もしたのですが、イヤイヤやめとこ。

ちょうど昼で、食事ができそうな店は軒並み行列。
そんな中、すんごい回転の早い蕎麦屋があったので速攻入りました。
とげぬき地蔵尊前、創業100年の大橋屋さん。

海老天せいろなんて食べちゃった…美味しかった ❤︎

入店を待つ列がスゴいので、さっさと店を出ます。
食事の前に行列していた店、まだまだ激しい行列で…ココはとりわけ激しいけど何?
ココはとげぬき地蔵の聖地なの?笑
(そういう訳ではないようですが、この界隈に5店舗を展開する食堂のようです)

ときわ食堂

豆腐屋さんとさつまいもを使ったお菓子(大学芋・スイートポテト)を作るお店に立ち寄り、帰宅。
夫は半世紀ぶりくらいに足を踏み入れたようですが、昔からある店もチラホラあって懐かしがって
ました。
あちこちで売ってた『赤いパンツ』っての、あれは何だろう…

駅伝見てて、思うこと

自分も学生の頃は、運動(剣道)に明け暮れていました。
スカウトで高校へ行き1年からレギュラー、いろいろな経験/思いをしながら学生生活を送りました。

身体能力が高い若者はたくさんいるんですよね。
ただ、アスリートは主に体が資本ですからピークが早くやってくるので、肉体的な研鑽に対して
人間的な成熟や教養などが伴っていないことも少なくありません。
肉体・技を磨くことと並んで、人としての力や精神力などを養ったほうが、総合的にみて圧倒的に
いい結果が出ると思います。

生きていくための力や思いやりの心などを育むのは、子が最初に触れる社会である「家庭」が最初です。
そこがベースになり、子が自分が触れ合った社会で様々吸収しながら成長していく。
アスリートが強くなるためには、その辺り避けては通れないと思うんです。
たすきを繋いでいく学生たちを見ながら、ぼんやりそんなことを思っていました。


モータースポーツはその面、特殊な道具を使っているので年齢や男女の差がつきづらいのが大きな
特徴の一つでもあります。
その人の肉体の能力より、その人の経験値が大きく結果に影響します。
平等で、私はとても気に入っているんです。

新年おめでとうございます

今年のお賀状は、16歳の娘が担当しました。
例年、競技中の写真をハガキにするのですが、まぁややマンネリ。
今年は3年ぶりに海外も復帰しようと画策中ですので、店主(私)と女房殿のクルー結成の年の
1ショットを、水彩で描いてもらいました。
場所はマン島、首都ダグラスのプロムナード(目抜通り)が顔見せ的なタウンステージになります。
この年は(も)雨で、慣れない中 見えづらい中 いきなりのナイトステージにオタつく中、初日を
走ったのを思い出します。

9年前、ずいぶん時間が経ちました。
店はどんどん若い人で切り盛りし、年寄りがでんと幅を利かせて『老害』オーラを撒き散らして営業に
支障が出ないように…
粛々と作業します笑

今年も変わらぬご愛顧を賜りますよう、お願い申し上げます。
若いスタッフ(メカ・ボディワーク)が店を引っ張り、盛り上げていく足がかりの年にしたいです。


もし、このタッチを好んでくださり、愛車を水彩で!というご用命がございましたら、絵の依頼も
受け始めていますので、お声掛け下さいませ。