いちご 大根 針仕事

定休日。
店主も従業員も野暮用。
稼働してる日になんざぁ、やってられんことは休みの日に。
グリーン x 紺 x 茶(どのみち地味…)リンクコーデになりました。

今年はいちごの出来が良くないのかな…あんまり美味しいいちごに出会えていません。
マーケットで一杯いくら、のいちごを求めていちごジャムにします。
煮込む、とかってお台所の『冬の活動』ですよね。

こんなにごそっとあっても、340g 入るビンに2つ分しかできなかった…けど、いちごと砂糖しか使ってませんからきっと美味しいはず。
次は、酸っぱくて仕方ないオレンジ?っぽいのを成敗します。
夏みかんのマーマレードも同様ですが、オレンジジュース少し足して作ってます。


大根は旬のピークを越したのかな…マーケットでうず高く積まれていますが、だんだん1本1本が小さくなってきました。
とはいえまだまだみずみずしいし、まだまだ寒いし、ハフハフ食べるふろふき大根の支度を。
大根を剥くと皮が出ますよね(当たり前)。
我が家では大根の皮も頂きます。
気持ち水分を飛ばして、ごま油で香ばしくきんぴらにします。

七味とごまは定番。
我が家では海苔を手で細かくして和えます…お醤油味に合わないわけありませんよね!

ってことで、ふろふき大根の支度もできました ♪
あとは、手前味噌をお出汁で伸ばして、甘く仕上げて頂きます。

今日の夕食は夫の担当…そう、餃子です。
餃子の日は基本、何もしません笑
ニラを刻むくらいしてあげる日もありますが…
何せ包ませたら、私が1ヶ包む間に3ヶは出来上がってますから、全部やってもらうが一番。
ぜーんぶやってもらってるので(やったことは食べることだけ)画像すらありません。

***
洗い物は私がして、夫は娘と映画鑑賞。
私は横目で見ながら…半襦袢に半襟をつけていました。

半襟は基本 白ですが、松坂もめん(天然藍で先染した糸で織った木綿)に合わせるので、
おうど色の半襟をつけてみます。

しんしんと雪が降ったりしているわけではないけど、冬の夜長に針仕事 ちょっと好きです。

【 再掲 】我が家のお雛様は「左上右下」

昨年、師走の手前でウェブサイトがすっ飛んで。
店主の家の習慣なども好きに綴っていましたが消えたので、懲りもせずまた。
今日は我が家のお雛様の飾り方。

我が家は向かって右に男雛、左に女雛と飾ります。
私がそうしたくてしていることですが、関東は反対のことが多いです。

左上右下(さじょううげ)
飛鳥時代、唐の国から伝わったとされるこの考え方。
日本の伝統的な礼法の一で、北に座す不動の北極星を背にした時に、どっちが上座か…
北を背にすると太陽が昇ってくる東は『左』。
よって左のほうが位が上、と考えます。
もっと言うと…
東は日が昇る(=物事が始まる)→ 春 とか
それぞれ方位を司る四神(しじん:方位を司る神)がいて…
説明が面倒なので、ざっくりすぎますが抜粋!

こうやって見ると、さりげなく聞き覚えのあるものがちらほらないですか?
『青春』『白虎(隊)』『(北原)白秋』『朱雀(門)』…
皇太子のことを東宮とも呼びますが、帝より若くこれからの世代だから。
春宮でも「とうぐう」と読ませます。
大相撲の土俵とその吊り屋根も実は、五行が反映されています。

東に緑(青)の房
南に赤の房
西に白の房
北に黒の房
そして中央(土俵)は黄色

日本でもずっとその考え方できましたが、明治時代になって皇室が西洋の様式を取り入れる
ようになり、右が上( right = 右 / 正しい ですよね)の考え方が台頭してきた、というわけ。
京雛は 左上右下
関東は 右上左下
いいの、我が家(私)は昔ながらの礼法に則って飾ります。
ゴチャゴチャしていてあいすみません…でもココは皆がいつも居る場所なので。

この立雛は私の得意技、吉野雛です。
友人に姫が生まれた、ってぇと取り寄せて贈ります。

2016年、マン島の首都ダグラスの市長さんを表敬訪問した時も、貢ぎ物にしました。
当時の市長さんがラリースト+ミニのエンスージャストで、あちらから人を介してお声掛かりが
あったのですが…
面会はレッキ(ラリーで使うステージの試走)の合間で調整、ジャケットこそ羽織っていた
ものの、明らかに迎える側(市長と令夫人)と装いに差が…
これは、私としては和装で望むようなことだったんじゃぁ…
(聞かされてなかったし、話を取り次いでくれた人もシャツにスラックスだった笑)

ダグラス市の紋章など頂いてしまい…
吉野雛に救われました。

***
これは過去の写真です…まだ出してない笑
早く出さなきゃ、拙宅の姫が行き遅れちゃう!(あ、それは仕舞う時か)

内陸は雪でした

え、こんな日にどこに居んの?

相模の陸事に来ています。
内陸はさすがに昼前から雪模様でしたが、幹線道路に積もるような気質の雪ではなく。
いつも以上に閑散としている相模…

ここから左を見ると、建物に時計が ❤︎
気が利いてるね〜!と思ったのも束の間、止まってた笑


登録して、納車して、店へ戻る道中はずっと雪でした。
この辺りでは、1月6日の雪ほどにはならなさそうです。
女房殿に、足やってもらってよかった。
(電車、年に数えるほども乗らないので…)

もう一丁追加

1月にボディシェルを乗せるためのパレットを作りました
先日、2Fと1Fを入れ替えしたのは、既存のパレットを1つ下ろしたかったから。
なんだかパレットに取り憑かれたようですが、今日もう一丁作りました。

コンパネを固定していきます。
いい感じのキャスターなんですが、実は購入の時に見落としてキャスター2つにストッパーなし!
ドライバーでネジを入れるたびに、パレットがゆらゆら揺れてやりにくくて…

英国から到着のコンテナのデバン(Devanning : コンテナから中身の貨物を取り出すこと)が
明日(2/9)だそうで、通関を経て来週には荷の引き取り。
間際だとバタつくので、今のうちに。
それにしても今日は寒いなぁ…木曜日、朝から雪ってホント?

立春大吉

今日は立春。
昨日は節分。
我が家の姫は、夫にお面被らせて、豆をバチバチぶつける年でもなくなったし、
かといって年の数だけ豆を食べたら、夫なんか 62粒…まぁきっとお腹を壊すでしょう。
そんなわけで節分の晩は、お豆さんが残ったときに…と教わった、豆ご飯を食べました。
炊き込みご飯の要領で、白米を炊くときに昆布を1かけうっすら塩加減をして豆を一緒に
炊く、それだけ。
炒り大豆の香ばしい香りが移って、素朴ですが美味しいご飯でした。

***
このあたりで暮らしているととんと見かけませんが立春に、お寺さんや民家で薄い紙に

『立春大吉』

と書かれて貼ってある光景を、見たことがある方がおられるかもしれません。
春の始まり(1年の始まり)の日に、人々や世の安寧を願うことばです。
除災招福の言葉…謹賀新年 と同じような感じです。
お気付きかもしれませんが、4文字とも線対称…つまり裏から見ても『立春大吉』。
節分に入り込んだ鬼が、自分が入った門を振り返ると『立春大吉』の張り紙。

くぐったはずなのに…ひょっとしてまだくぐってなかったか?

と勘違い、再び門をくぐって自ら外へ出てしまう…つまり
『立春大吉』には、魔除けの効果があると言われます。

そそっかしくて、まるで落語の国の住人みたいな鬼どんですが…笑

***
お使いで訪れた、地元の馴染みの和菓子屋さん『たんの和菓子店』には、立春の今日
『立春大福』が並んでいました。
お化粧にきな粉(大豆でしょ)を使っています。
黄金色っぽくて、なんか幸せが来そうです…
ついつい、あれこれ買っちゃうんですよね困ったもんだ。

たんのさんへ伺う時は(忘れなければ)通い籠を持参します。
これなら、ショッパーを分けて頂かなくてもお買い物ができます。
お菓子も潰れません ♪
求肥に味噌あん 『福梅』
薯蕷饅頭 『山路の春』 あぁ幸せです。

それと!
もう2月だというのに、正月の生菓子 花びら餅に出会いました。
何でもキャンセルが出たそうで…
何だよ生菓子のキャンセルって!
子細存じませんが、作り手に押し付ける(敢えてそう言います)のは頼んでおいて
あんまりじゃぁないのかね?

とはいえ、おかげさまで季節を外れているのに出会ってしまった…❤︎
いわゆるこれは『残り福』。
もちろんあやかりますとも…ってことで、夜に一服点てまひょか。

今年の手前味噌

突然ですが昨日、お味噌作りました。
立春前ですから、寒仕込みってことになりましょうか。
コロナの影響で(こんなところにも!)昨年、伯母から完全独立しまして自宅で自分で
作っています。
道具があと一歩ですが(あとはでっかいボールだけだな…)。
我が家は玄米麹を使っています。

塩切り(麹と塩とを混ぜ合わせる作業)
手を洗うように、互いをなじませていきます。

茹で上がった大豆をマッシャーで潰します。
伯母はミートチョッパーでしてましたが、普通にマッシャーで手でイケます。
味噌を作る時は、家の中じゅう大豆の香りでいっぱいになります。
脱線しますが、煮汁の残りを煮詰めたものを『煎汁(いろり)』というんですって。
古代の甘味調味料なんだとか!
煮汁を冷凍して保存、後日スープやカレーに使いますが、煮詰めて甘味料とは…
今回、作ってみようと思ってます。

塩きりした麹と潰した大豆を混ぜ合わせます。
煮汁で硬さを調整しながら、大豆がホッカホカです。

容器に入れていきましょう。
ハンドボール大にざっと丸めて、空気が入らないように投げ入れては詰めていきます。
きもーち、煮汁が多かったかな…

詰め終わったら、表面を整えて今日の作業はここまで。
キッチンペーパーをふんわり容器に乗せホコリよけをして、完全に熱が取れるまで放置。
そのあとは塩で空気を遮断して 、光をなるべく避けて冷暗所で放置。
11月頃には食べ頃、手前味噌を楽しめる…というわけです。

手前味噌は美味しいのもさることながら、チャームポイントはその安全性。
保存料も添加物もゼロ、大豆と米(麹)と塩しか使っていません。
よくすっ飛ぶ前のブログに書いていましたが、人の体は食べたものでできているので、何を
口に運ぶかは極めて重要。
家族の胃袋担当ですから、せめて私の手の届く部分はどうにかしたい。
何を入れたかは、作った人が一番わかってますからね…
素朴ですけど、美味しいですよ。

お味噌は発酵させて作るので、それ自体が『活きている』んです。
時間をおけば発酵が進むし、味わいも変化していきます。
金沢の味噌屋さんで「味噌は冷凍しても凍らない」ことを聞いてからは、出来上がり次第
ジップバッグ3袋に分けて冷凍保存しています。
温度が全く足りないので発酵が進みませんから、色変わりしません。
開けたてのお味噌は、こんな色合い。

根が食いしん坊ですから、開けてかき回している時は何をしようかと思うだけで心躍ります。
味噌汁はもとより
お肉や野菜を味噌炒め
お魚やお肉を味噌漬け
お魚を味噌煮
きゅうりとか生野菜に味噌をちょいとつけたり
甘味噌にして田楽
冬はふろふき大根
牡蠣の土手鍋も美味
とろろに醤油の代わりに入れても美味
あ、焼きおにぎり…

遅いお正月

娘の仲良しちゃんのお母さんと、着付けの稽古をしています。
私がたまに着物を着ることを子どもづたいに聞いた彼女から、
「着付けを教えて欲しい!」
と言われたものの、我流だし教えるというのもナンなので日を決めて一緒に着よう!
ということにしたのが約1年前。
彼女には、子らの中学の卒業式に着物で列席したい!という目標があって。
1年計画で、月イチで集まってきました。

拙宅へ午前中から来て、簡単に昼食を用意して子らと4人で。
おしゃべりしたりお茶したりしながら、とっぷり日が暮れるまで。

一応、年のはじめでしたからお正月っぽくしようかな…
お点心っぽくしたいけどでも家でするには限りもあるし…
前日ちんたらあれこれ作って、当日は盛り付けるだけにしました。

瓢の物相型なんか滅多に出番ないので、ここぞとばかりに。
炒り卵と菜の花で、春らしくしたつもりだけどどうでしょう。
ねじり梅はちょいとエッジが効きすぎてるかね…もうちょっとやんわりすりゃよかった笑

吸い物椀がないので普段使いのお椀で、蟹しんじょを作ってそれっぽくお出ししました。

うん、急ごしらえだけどまぁまぁかな。
ご酒こそ出しませんが、なんとなく名残のお正月。


月に1度でも、まさに継続は力なり。
最初はどうにか着た(本人談)感じでしたが、着られるようになった(本人談)と
実感しているそうです。
スマ〜トフォンに写真を残してあって、差は歴然だと言ってました…よかったよかった。
その一方で、感染症拡大を防ぐべく世間が再々萎縮してきていて…
卒業式の保護者列席 1名 とか言われそうで笑

そうなったら、私は夫に列席してもらうつもりです。

大寒BBQ

思いつきで、今日のお昼はお肉を焼きました。
極寒BBQ…
女房殿がスーパーでそら豆を見かけたので(初物だ!)皮ごと焼きました。
粒は小さかったけど、塩をパラリ…美味だったそうです。
(都合で出遅れたので、私の口には入らなかった!)

焼き芋も密かに仕込んであります…
でも、直にアルミ箔を巻いたので(濡れ新聞紙で包んだ方が焦げづらく蒸し焼きになるって)
皮がやや炭化…
でも、ほっくほく❤︎

おむすびをこしらえてきてくれました。
お肉は
鶏モモを    生姜醤油+みりんで漬けてネギと一緒に
豚バラは    ①素焼き→塩+レモン ②手前味噌で作った甘味噌
牛切り落としは ①素焼き→塩+レモン ②焼肉のタレ
そのまま食べてよし、サンチュで巻いて食べてよし、なかなかでした。

年明けからこのかた、年末のせわしさそのままに皆にはせわしい思いをさせているので、
労う気持ち…で、思いつきBBQ。

そうだ、お墓行こう2021年末④

新しい年を、雪国で迎えました。
この家に嫁いで、ご縁のできた土地です。
代々の『お墓』がある、ただそれだけ。
今ドキ、いろいろ簡略化されたり、価値観の変化から墓参だけの為に片道600km も車を飛ばしていくなんて、ナンセンスな〜 って思う方もいるかもしれません。

今の自分、今の家族が今の形であるのは、人と人とのご縁が連綿と繋がってきたから。
だから先人に思いを馳せ敬うのは、人としてごく自然なことだと思っています。
それが、知っているご先祖さんでも、もっと先の知らないご先祖さんでも。

個人的には、お墓ポッキリでこの土地とご縁ができたことを、密かに嬉しく思っていて。
今でこそすっかり遠のいていますが、若い頃はお茶のお稽古をしていたので、加賀(金沢)は憧れの土地でした。
京都とはまた趣の違う文化の詰まった金沢は、とても興味がありました。
でも自分の住む関東とは、険しい山脈を挟んで日本列島のあちらとこちら。
その当時は新幹線も通ってなかったし、とても遠い場所だったんです。

それが、嫁した家の代々のお墓が石川県にある!
で、年イチくらいでかの地を訪れるように。
とはいえ、墓参だけの為に片道600km は遠すぎますj。
しかるべき時が来たら、お墓の引っ越し計画もまだ朧げではありますが、立てています。

でも皆のルーツに変わりはなし(ちなみに私は他人です笑)足繁く通ったことですっかり
馴染んだ土地となり、毎度伴っている娘にとっても縁の深い場所になることでしょう。
彼女が大人になって、家族を持ち家を担う存在になる頃に、ゆかりの土地を訪ねて伝えて
くれれば、ご先祖を大切にする気持ちはまた次へと継がれていくんじゃないかな。

良くも悪くも、形のないものが伝わるのは地道であったり時間もかかるし、まさに積み重ね。
家風だったり、価値観だったり、伝統だったり。
人と人とのつながりが希薄になってきた今だから。
粛々と続けて尊んでいきたいと思っています。

***

雪国で迎えた 2022 元日。
帰宅の日でもあります。
健康上の理由から施設でお世話になっている夫の長兄に、墓参の報告がてら面会を申し込んで
ありました。
雪深いエリアを超えねばならないので、早くに出発。
ラリーで劇早のスケジュールには慣れっこですから、630am 発なんてちょろいもんです。

で、朝食は?
コンビニ笑

大晦日の加賀会席から一転、車中でサンドイッチをかじりながら、まだ明けきらない金沢の
街をあとにしました。

そうだ、お墓行こう2021年末 ①

以前のブログで、シリーズ化?していた『そうだ、お墓行こう』。
残念ながら記事は飛んじゃいましたが、また抜け抜けと書きますのでお付き合いください。



これまでの『そうだ、お墓行こう』シリーズをご存じない方へ、基本情報笑

氣谷の家は石川県の出、本家です。
店主こと夫の、その父の代で、長男でありながら東京へ出てきましたが、お墓はかほく市に、
菩提寺はお隣の津幡町にあります。
墓守他 家のことは専ら夫の長兄が担っていましたが、令和に元号が変わった年、健康上の
理由から夫が一手に担うようになりました。
これまでも墓参りには行っていましたが、ちょいと役目が変わってきたと申しますか…



2021年12月29日
年行事の暮れのパーティーをいつもの場所でささやかに開き、駆け抜けた1年を気の
置けない仲間と振り返りながら楽しく過ごし、今年の『仕事』を締めくくりました。

2021年12月30日
個人として今年を締めくくるべく、暮れの墓参へ。
もはやこちらも年行事となりつつあります。
パーティーの翌早朝( 430am )発、年の瀬寒波/大雪と予想されていますが出かけます。
新東名島田市付近、東の空が白んできました。
2021年最後の日の出です。( ← こっちはもてはやされませんよね)

通常、新東名から東海環状自動車道へ抜けるのですが、新城手前のトンネルで前日夕方に
事故から火災が起き、肝心な JCT までの箇所が通行止に!
なんてことだ…迂回を余儀なくされ、2時間弱のロス。
今回は、夫も若くないし( 62歳)今年の後半はいつになくせわしかったので、これまでの
ような1泊とんぼ帰り(12/31 帰宅)はやめにして、2泊することにしました。
なので、出だしで少々つまづいても大丈夫…幸いその後の交通はいずれも順調でした。
(確かに大雪でしたが、いろいろと上手くいきました)



日本列島はホント、場所によって天気が激変します。
アクシンデントがなければ、すぐ上の画像 島田市から大体2時間半、距離にして270km。
ここは岐阜県高山市…標高 1,000m くらいあるからまぁ当然か。

でもって、1時間走れば…富山県南砺市では この通り。



さて墓参を済ませてホっとして、いつもの店でお昼を頂きます。
亀屋さん お蕎麦屋さんです。
これは 2017年夏の墓参り。

どれを頂いても美味しいし、店の佇まいといい器といい、飾りすぎずでもとっても洒落てて
皆で気に入ってて、墓参の折には必ず立ち寄ります。
天丼とせいろのセットがスゴかった!
お蓋が閉まらないくらい…

菩提寺へも挨拶を済ませ、ひと通り役は済ませました。
今回の宿は金沢城大手門跡から程近い、観光スポットにも歩いて行かれるホテルにしました。
年末年始の暴飲暴食はもう前日から始まっており…
チェックイン後、今後に備えて腹ごなしがてら散歩に出かけます。
夕方から市街地でも雪の予報ですから、もちろん足元はガッチリ!持参のスノーブーツで。

ホテルの裏手から少し歩くと、久保市乙剣宮(神社です)の脇道から金沢の三茶屋街の一、
主水町茶屋街へ続く石段が現れます。
ここは『暗がり坂』と名が付いています。
ずっと来たかったんです…

その昔、旦那衆がいそいそと、馴染みのお茶屋に通った道なんですって。
石段を降りて道なりに進むと程なくして突き当たり、道が左右に振られお茶屋さんが軒を
連ねている、というワケ。

右端に見える、枯れた赤銅色の細かい格子。
金沢の町屋建築の特徴的な格子の割り付けが細かい出格子で、『木虫籠』(きむすこ)
といいます。
断面は台形になっていて、室外に向いた面の方が室内に向いている方より長さがあります。
つまり外からは仲が見えづらく、中からは外が見えやすい、という構造です。
この後行くひがし茶屋街にも、一部残っています。
景観を保つために、この雰囲気を模した作りにしてリフォームをしている店舗もあります。

ひがし茶屋街は昨年も訪れていますが、こちらは観光地としてバッチリ整備されています。

なんだか長くなってきたので…
続きは日を改めて。