“BAN”

法的に禁止する という意味の英語です。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が報道されて以来、BBC のニュースで情報を得ています。
EU を離脱したイギリスが発した、ロシアへの制裁の中に

BAN AEROFLOT

アエロフロートを含むロシア国籍、ロシア人所有の航空機の領空飛行禁止/乗り入れも禁止
とありました。
ってことはきっとロシアもお返ししてるだろうなぁ(してました)…と思い、
British Airways のウェブサイトへ。フライト検索をしてみると…

直航便は ① だけ。
JAL とのコードシャア便 1便しか飛んでないようです。
ホントは夏に、ラリー抜きでイギリスへ渡航しようと計画してますが、どうなっちゃうかな…


FIAT の部品のこともあって、プラハ(チェコ)に行ってきたいんですけど…
上の ② はそのプラン、フランクフルトで乗り継ぎが一番時間がかからないみたい。
チェコは、国境こそ接してないけどウクライナとも近い(といえば近い)し、東ヨーロッパ
しばらくどうなんだろう…

イタリアも2度行ったっきりで、ホントは訪ねたいところ沢山あるのに…パンデミック憎し。
っていうか、”BAN AEROFLOT” となると実は結構困るんですイタリア行き。
アエロフロートを使って『シェレメチェボ空港(モスクワ)乗り継ぎ』が、どこへ行くにも
なかなかいい塩梅だったんです。
時間も距離も無駄がない、そして値段も安定して手頃。

アリタリア航空高いし〜ってナニ アリタリア倒産したの

アリタリアの後継は、国営の ITA Airways 。
実は昨年「パンデミックの影響で物流など制限されている」という理由で航空便でイタリアヘ
クリスマスカードが送れなかったんです。
年行事であるクリスマスカードの準備は、このブログで毎年ネタにしていますが、

まさかの船便

ウェブサイトが飛んじゃって「格好のネタ」をご覧の皆様と共有できず、残念至極…。
船便で出す時に、個人的に「へー!」って感心したことがあったのですが、それは後日。

話を戻して、航空機の減便/運休で郵便が船便になったのは、背景にアリタリアの破綻が
あった、と知ったのは年が明けてから。
さすがに、海外のサプライヤーと直接取引をしてますから、こんな小商いにも世界情勢の波が。

***
そして今、経済制裁で意見が割れてるのが… ”SWIFT”
SWIFT の決済網から排除するか、否か。

元の記事はこちら

SWIFT とは、国際銀行間の資金決済に必要な金融情報を、安全且つ迅速に通信できるように
運営している協会で、銀行を特定するコードを管理しています。
一部報道では、SWIFT からの排除 = 金融核兵器 みたいな言い方をしてます。
コレってハシゴを外される感じだ…

***
何れにしても、民はどちらの国も戦争なんて望んでない。
子を持ってなお思いますが、もし突然ミサイルが降ってきたら?
どうやって子を守る?
時間が経つほどに相手の国を憎く思うようになってしまうのは、状況が悪化してそういう
心理になるから。
民は皆、悲しんでいます。
世界規模で人類が、見えない敵に脅威にさらされメッタメタにされたばっかりなのに。
あろうことか、人が人を…

正直ココでできることはほぼないので、一刻も早く収束して平穏が訪れることを願います。
できること…せめて、正しく知ること。
今は便利なツールがいろいろあるので、遠い国…どっかおよそで起きてる話、じゃなくて
正しく知ろうと思っています。

***
学校で取り上げたりしてるのかな…
中3の娘は、あと学校ですることといったら…3月上旬の卒業式の練習だけ。
球技大会が1日あるようですが、それ以外はほぼ毎日練習(毎日午前中いっぱいで帰宅)。
卒業式って練習いるの?
済ませるべき教育過程もすべて済んでるだろうし、練習なんか毎日やらんでもいいから
1日くらい社会の先生が、画面使って全クラスで共有する形で、今回ウクライナで起きたこと
について、授業したらいいのに。

進路もまちまち、広がっていく彼らの未来にきっと助けになるだろうに。

いつも迎えてくれた人

帰宅した私に、女房殿が
「ステージラリーを始めて10年だけど、ついに私が知ってる人がお星様になった」
え誰?今度は誰なの…?

Rally Isle of Man 2009

これは2009年、私が10年振りに海外のラリーに復帰した時、Rally Isle of Man です。
2日目の市街地ステージ、Castletown の中心にあるパブ(George Hotel)2階バルコニー。
階下にはこのステージの見どころであるモニュメントをかすめていくシケイン。
エントラントのプロフィールなどを交えながら実況しているところを、まだ私の隣に乗る前の女房殿が撮ったものです。
眼下はちょうど、こんな感じ。


Bob Milloy さん

名物インタビューアーで、BRC(British Rally Championship)のイベントをはじめ、我々が
毎年お邪魔していた Rally Isle of Man でも必ず見かける顔でした。
スタートですべての競技者を送り出し、フィニッシュで完走者をいつも迎えてくれました。
我々同様、走り切ったらあの顔あの声…と思ってきた競技者はすごい数でしょう。

2013年、コドライバーを女房殿にスイッチして臨んだ最初の年。
ラリー前からフィニッシュまで、都合5〜6日間両親にほったらかされてた娘が、女房殿に
ひっついてますね(小1)。
毎年、どんぶらこっことやってくる極東からのエントラントを、温かく迎えてくれました。
左端の車検委員、 Paul さんもいつもニコニコ。
彼らに会うと、あぁ今年もやってきたなと思ってたのに。

Rally Isle of Man 2013

この年も、

RallyIsle of Man 2014

Team Japan 4台体制で臨んだ、この年も。
我々クルーは、最終日ギヤボックストラブルに見舞われフィニッシュラインは通れず。
でも、けつっぺたがフィニッシュする時分にはどうにかグランドスタンド(スタート / フィニッシュ地点)に戻ってこられて、完走した仲間のインタビューに立ち会うことができました。

Rally Isle of Man 2015

この年は主催者からのオファーがあって、Team Japan 所属?の2人の小学生(当時)がスターター /プライズギブン のお手伝いをしました。
同じ場所でスタッフの真似ごとをさせてもらったわけです。

この時、9歳だった娘は今、15歳。
絶対ラリーやるって言ってるし、ココであなたに娘を迎えてやって欲しかった。
あと5年くらいだったのに。

会場で動き回る関係者を見回すとポロシャツやラフな姿の人が多い中で、ボブさんは必ず襟のあるシャツをお召しで、足下は革靴でした。
あと、商売道具であるマイクをあまり握り込まないようで、すらっと長い指がいつも印象的でした。

Rally Isle of Man 2016

またあなたに、フィニッシュラインで迎えて欲しかった。
当たり前だったことがもう叶わない、かなり寂しいです。
感染症のおかげで身動き取れない間に、大事な人たちがみんな彼方へ行ってしまう気がして。
そう言っているうちに、ひたひたと自分の順番は近づいていて。

Bob Milloy 1949 – 2022

スコットランドのモータージャーナリスト John Fife という人が運営するウェブサイトに、
ボブさんの生涯を簡潔にまとめた記事が載っていました

最後に、 BRC のTwitter を貼り付けておきます。
72歳、ちょっと早すぎ…
いつも温かく迎えてくれて、ありがとうございました。
私たちは、あなたの声を忘れない。