家庭で授ける、伝える

横浜市子ども・子育て支援事業計画の策定に向けた利用ニーズ把握のための調査

ってのがありまして、その調査票を見る機会がありました。
現況の把握、行政サービスの利用状況とそれに期待することなど
出産〜育児と続く一連の活動に対する満足度的なことや心配事などの調査。

子どもをどこかへ預けてるか
日常的に育児のこととかを誰(どこ)に相談しているか
こんな制度は知ってるか、利用してるか、料金はこんな感じだよ
行政の子育て支援に期待することは何か
今の暮らしには満足しているか

などなど。

引っかかった項目がありまして。
「不定期の預かりや宿泊を伴う一時預かり等」の註にあった記載なのですが

不定期の預かりや宿泊を伴う一時預かり等とは、パートタイム就労やアルバイトなどの不定期の就労、
冠婚葬祭、親の通院、リフレッシュ等の理由で、一時的にお子さんを預けることです。

冠婚葬祭
子ども、連れて行かないの?
「婚」ならまだわからなくもない。
でも「葬祭」は、子どもも列席すべきなんじゃないかしら。

人を送る儀式は、それこそ滅多にない「子どもが体験して、知る」チャンス。
葬儀の厳かな雰囲気とか、例えば読経の時に(空気を読んで)周りと同調するとか、
何をしているか幼い頃にはわからなくても、何度か経験するうちに(法事にしてもしょっちゅうある
ものではないですからね)年齢も重ねて、その集まりのことを理解するようになるのでは?
併せて、大きい意味で自分のルーツや家のことを漠然とでも感じて、離れていても、もう会えなくても
大事に思うようになる、そういう体験なのでは?
そういうのは、家庭で授けることです。

何で預ける?
それを行政が支援するとかって、ナニソレ意味がわかりません。

そういう場面で親戚と会って(子どもに限らずそうですよね)消息を確かめ合ったり成長を喜んだり…
葬儀って、割とそういう機会じゃありませんか?
親戚ですからある程度大目に見てもらえるだろうし、会の中でサポートしてもらえると思うけど?
(荷物持ったり、目を離さないように皆で見守ったりさ)
送る会、偲ぶ会であることはもちろんなのですが、送る人が親族や近い人を集める…そういう機会だと
私は思っています。

正直、子供を預けて働きに出る昨今の風潮に、いささか疑問を抱いています。
言うなれば子を為したのは親になったものの勝手であって、そこには当然義務が生じます。
生活の為に働きに出る、それを行政が支援する(=預かりの環境を整え充実させる)…すごい違和感を
感じるのは我が家だけでしょうか。

お金をバラ撒くのではなく、子育てにお金がかからない仕組みを構築すること

だと思っています。
以前から何度も書いていますが、例えば歯科矯正が保険の対象外であることとか。
噛み合わせは体の根幹につながる大事な部分にもかかわらず、自費。
ニコチン外来は保険がきくのにね…ホラ、おかしいでしょ。
例えばイギリスは、子どもにかかる物品購入に税金(VAT)かかりません。
もっと言うなれば、食材を買っても VAT はかからない。
でも、出来上がったサンドウィッチを買えば VAT がかかります。
人の手がかかっているから。
もちろん外食をすれば VAT がかかります。
そうやって、消費者が暮らしを組み立てることが可能です。

むやみに預ければ、成長の瞬間を見逃すことにつながるし、時間や気持ちに余裕がないと、親子の
関わりや絆も希薄になりかねない…
家庭の中での情緒的な教育も難しい。
家で授ける、授けられる環境を。
行政が考えるべきは、そういうところなんじゃないのかな。

リフレッシュ、必要だと思うけど…それで預けるかね?
夫婦で子ども抜きで出かけたい、そういうことかな?
この辺りは価値観もありそうなので…我が家はありえないけど。