デビがいた5月

先日、我々の元に彼の冒険記を送ってきた David ことデビ(我々家族はそう呼んでる)。
彼はは当初、日本をアメリカ大陸とユーラシア大陸の継ぎ目程度にしか思っていなかったようです。

でも、日本でいろんな面白い思いをしたからか、日本を去る時には

JAPAN

マジックで書き足して、ウラジオストックへ発っていきました。

***
グレイスに来る仲間と鎌倉へ出かけたこともありました。

我が家にはしばらく滞在し、短い間でしたが文字通り寝食を共にしました。
きっと日本で、しかも民家にしばらく滞在することなど、彼は想像していなかったでしょう。
お箸で一生懸命食事をし(トライしてました)、味噌汁を一緒にすすって。
とある月曜日には、夫担当の餃子で食卓を囲みました。
食後には、紅茶を飲みながら娘とお絵かきをし

小学校のスポーツデー(運動会)に、日本のとある家族と参加することになろうとは笑
もちろん昼食は4人で弁当をつつきました。

我々の元を去ってミニ屋などに立ち寄りながら境港まで行く道中、愛知県警のパトカーに止められ
数時間、警察署に留め置かれました。
日本のナンバープレートの付いていない車両が、公然と走っていたのに驚愕したようです。
言うまでもないことですが、自動車カルネ(自家用自動車通関手帳)を携行して彼は世界を旅して
いましたが、その呼び止めた警察官は不勉強で自動車カルネのことを知らず、おまけに少し調べれば
わかりそうなものを何時間もお茶だけ出してデビをそこに留め置いたらしいのです。
現地からガレージに電話がかかってきました。
説明し、ジュネーブ条約に1mm の抵触もしないこと、だいたい警察が何をやってんだと半分キレて、
最後は昼食にカツ丼が出てきたとかって(確かそう言ってた笑)。
アホか。
今回出版の本には、やっとカルネが理解できて放免(そもそも留め置かれる理由がないけどな)に
なった時に、署で警察官が手を振って見送る写真が掲載されていました。
やれやれ恥ずかしいね。

***
ロシアで時におっかない思いをしながらも、一目散に大陸横断。
確か8月いっぱいには長い冒険を終えたと、彼から連絡があったように記憶しています。

で、9月。
我々はラリー参戦のためマン島へ。
そこへ彼が現れたんです。
なんという友情でしょう…ね。
その後、娘さん Louise がマン島のラリーにミニで参戦するようになり、デビはサポートで付き添い
マン島で何度か会いました。

以来、折に触れメールで彼の故郷の美しい風景や近況を伝え聞いていました。
彼の故郷は Isle of Mull スコットランドの島。

マン島のそれとはひと味もふた味も違うラリー “Mull Rally” が開催されることで有名です。

彼はもう1度日本へ来たいと常々言っているのですが、パンデミックもあり実現にはまだ遠い道のり
といったところでしょうか。
そうこう言いながら、この先は年齢的なものも出てくるでしょう…
つくづくパンデミックが恨めしく思えますが、それは誰の上にも等しく起きたこと。
彼の壮大な冒険記には、勇気や希望がたくさん詰まっています。
縁のあった人には特に、読んでほしい1冊です。
(旅の経過がかなり細かに書かれていて、なかなか面白いです)

“Silent Wish”

昨日、ポストに外国から小包が投函されていました。
差出人はDiddy Dave こと、David Thomas 。
グレイスのブログが一昨年秋にすっ飛ぶ前から読んでくださってる方はご存知かと思いますが、
スコットランドの小さな島、Isle of Mull 出身のミニエンスージャストで、ラリーストでもあります。

現在は、娘さんの Louise がミニで走っていて、我々もマン島で何度か一緒に走ったことがある
仲間です。
日本には、一番いい陽気…風薫る5月に1か月ほど滞在したことがあります。

実は David とは、今年のマン島で再会していました。
Louise のスポンサーチームのお手伝いで島に来ていて、会うことができました。
我々は彼が来ることを知らされておらず、まさに Big Surprise! 再会を喜び合いました。

その時に、彼が本を出版すると聞いていました。
そのうち送るから!

…届きました。
“SILENT WISH”
(脇に写る小さなお皿は、彼に以前もらったもので故郷の Isle of Mull の全景が描かれています)

ナニナニ…

***
ちょうど10年前、彼はカスタマイズした Mini Van で世界一周の旅に出ました。
UK – CANADA – ALASKA – RUSSIA – EUROPE -UK

その途中でアメリカから日本へ渡り、横浜で車を受け取り自走で大陸(ウラジオストック)への
フェリーが発着する境港(鳥取県)まで移動、ロシアへ渡って日本を通過していきました。
最初3月ごろだったかな?彼から email を受け取りました。
車両を製作した Mini Sport の Daniel に「日本を通るなら Shinobu に連絡しろ」と助言を受けて、
連絡している、とありました。
(なんでだか知らんけど、彼はそう言った…David は若干意味わかんね的な反応だった)

車両の入港に合わせて、GWの最後に空路日本へ到着、夫に再度連絡がありました。
夫は関内だったかな?のホテルを引き払わせて、金沢八景の旅館へひとまず数日滞在、その後は
我が家に逗留していました。
で、車両の受け取りのために税関へ。
そこで彼は、Daniel が言った「Shinobu に連絡しろ」の意味を知ることになるのです…

日本の水際の煩わしさ、言葉の壁、鎖国にも似た「井戸の中」のような環境…
大黒埠頭でまず X線検査を受け

彼はこの車で野営をしながら旅していましたから、家財道具満載。
ぜーんぶ物を出して

やっとこせ受け取って、ベイブリッジへ向かうも

車がトラブル
(長旅の後のコンテナ海運が影響してか、ラジエータのロアホースが破裂)

牽引で我々の自宅まで(よく見ると左下、牽引ロープが写り込んでる笑)

やっと自宅へ到着
(ガレージ建つ前なので、広々…芝生も青々…)
かくして、彼は最初に拙宅に泊まった客人となったのでした(しかも長逗留笑)。

10年も前のことなのに、ついこの間のことのよう。
彼が来た時、娘は小学校1年生でした。
(私も随分、年を取ったんでしょうか…やれやれ)

彼の著書を紹介したくて書き始めましたが、いろいろ思い出してたら面白くなってきたので、
ちょっと思い出話にお付き合い下さい。

旅のおまけ『ヴィクトリアサンドウィッチ』

我々が『巨匠』と呼ぶ Peter さんと一緒にラリーに出るときは、いつからか彼の奥様が我々に
ケーキを焼いてご主人にもたせてくれるんです。
嬉しいお気遣い、いつもありがとうございます!

2016年

2016年はメンバー最多の年で、一切れがとっても薄かった…
で、今年も!
(え…このケーキのトランポwは、Shinobu 専用なの?)

今年は史上最少のミニマム体制だったため、一切れが大きいこと!

このケーキは、「ヴィクトリアケーキ」とか「ヴィクトリアサンドウィッチ」と呼ばれます。
19世紀、イギリスが栄華を極めた時代のヴィクトリア女王の名前に由来します。
最愛の夫を40代の若さで亡くした女王が、悲しみから立ち上がろうと催したティーパーティーで
振る舞われたのがこのケーキだったそう。
キメの荒いこの感じが大好き。
レシピとか少し調べていたら、「サンドウィッチ」というだけあって薄いスポンジ2枚でジャムを
挟む、この作り方があちらではポピュラーみたいです。
来年、浅いこの焼き型をスーパーで買ってこよう。
Tesco で £3.00 だって ❤︎

***
このスポンジ、いろいろにアレンジできそうです。
これは、先日の投稿で紹介した Laxey Beach Stop Cafe でいつだか買ったカットケーキ。
レモンカードあたりでトップをコーティングしても美味しそう。
家にある焼き型でやってみようかな。

旅のおまけ『Castletown “George Hotel”』

キャッスルタウンは、マン島の南西部に位置する海沿いの町。
その昔は首都だったそうで、イギリスの「保存状態の良いお城」ベスト5に数えられる
Castle Rushen があることで知られます。

お城のそばにはモニュメントがあり…
(画像は Wikipedia より。お城側からモニュメントを見たところ。)

ラリーの時だけ、車道から右へ向かい広場(当時は時間貸の駐車スペースとして使用)を通って
奥を回ってモニュメントをシケイン代わりに使う名物コーナーがありました。
下の写真は 2009年 Rally Isle of Man の 氣谷・溝井組が、モニュメントをパスするところ。

キャッスルタウンは、我々の定宿 Sefton Express がある Ballasalla (バラサラ)からほど近く、
ご飯を食べに行くにも便利なところです。
1枚目の写真、モニュメントの向かって右に写り込むのは George Hotel 1階はパブになっていて、
いつも我々の胃袋がお世話になっています笑
今年もお世話になりました〜

正面の入り口の上はバルコニーになっていて、かつてのラリーではキャッスルタウンのタウンステージ
実況をしていたこともありました

バルコニーを見上げながら、長い指で持ったマイクをこちらへ向ける Bob さんを思い出していました。
戻ってきたよ。

2週間後には…

幌もどうにか昨日のうちに腫れて、最後に残してあったブレーキ周りの整備をします。
雨が降り出す前に、納めることができました。

***
5月に入ると世の中は G.W. 。
我々…少なくとも店主と女房殿はそれどころではありません。
1週間後には出国、2週間後にはマン島で開催される Manx National Rally に出場し競技が終わって
いるんです。
2019年にベルギーでの競技に参加して以来、久々の海外競技です。
その間、全日本ラリーにスポットで出ながら、モチベーションや自分らのスキルの水準をどうにか
保ってきました。
この4年で、自分らでペースノート(ステージ中の道の形状や様子を暗号のように読んでドライバーに
伝えるツール)を作るようになったので、もうペースノートを買うことはせず今回のマン島のノートも
自分らで作ります。
女房殿は心配がっていますが、走りやすいノートができるはずです。
購入できるノートは大抵、スピード域がもっと速い車で作っているので、ミニだと状況が変わること
も少なくはないんです。

Jump って書いてあるけど、ミニのスピードじゃ Jump はしないなぁ、とか。
ミニは FF だから、このコーナーの番数は違うなぁ、とか。
(コーナーの深さを、数字で表現します)


英国のメインランドの SIM カードも手配してもらって入手済み、現金で用意したかった分もネットで
注文、今日届いたし。
いろいろ準備は追い込みです。

毎度、心ばかりの日本のものを、あちらの仲間などに持って行っているのですが、今年は…
干菓子にしました。
かさばらないし、日持ちするし、儚いくらいあっという間に口で溶けて無くなっちゃう。
そして何より、日本の柄 が持っていける。

自宅の近所の『たんの和菓子店』でごそっと求めて…
ストックしてあった和紙と水引の端切れで、包んでみました。
楚々とした干菓子(砂糖菓子)が入っているだけだけど、ちょっとステキにできました。
和紙は、着物の丸洗いに出すと戻ってくるときに入ってくるたとう紙の、印刷のない部分を頃合いに
切り出したもの。
たとう紙ですから厚みがそこそこあり、いい感じにできてました。

えーっ!

娘宛てになんと!
Norfolk の巨匠から小包が!

マン島でご一緒してる大先輩、Peter さん。
もう70歳はとうに過ぎていて、一度は引退宣言したものの撤回、その後パンデミックに見舞われ。
ありがたいことに

「シノブと一緒に走って、それで引退する」

そんな風に言ってくれる、大先輩。
娘のお祝いごとに、海の向こうから祝意を届けてくれました…嬉しい。

5月のマン島でついにご一緒できるので、ずっとお預けになっている「最後に一緒に走る」が
いよいよ実現します。
今年はラリーの後 Norfolk には立ち寄れないけど、来年はきっと。

やっぱり好きなんだよ

Rally of Tsumagoi レッキの日には、『ウェルカムパーティー』なるものがありました。
ビュッフェ式の会食で、今回はエントラントも少なめ…あちこちで話の花が咲きオフィシャルの方々
との交流もある、楽しい時間となりました。

今回、2台いるスウィーパーのうち Sweaper 2 は、三菱の社員からスタートし、ラリーストとして
世界で活躍してきた篠塚健次郎さん。
パーティーの席でお話しするチャンスに恵まれました。
1988年、篠塚さんがアジパシ(Asia-Pacific Rally Champioship)の初代チャンピオンになったのは
よーく覚えています。
1989年海外ラリー(マン島が最初でした)に参戦したのは、彼の活躍に触発されたのもありました。
なんでもガラパゴス的に、井戸の中だけで済ませて外を目指さない日本という風土において、目標に
したい人でした。


やっぱりアナログなものがいい
年を重ねれば重ねるほど、自分にはこれ(車)しかないよ



ずっと続けてきた人は同じことを思うんだなぁ…と、
気付けば随分長いことやってる私は、うんうん頷きながらちょっと幸せな気持ちになりました。

私もミニが好きすぎて、ここまできました。
自家用車も、競技車も、家族の足も、ミニ。
大好きなラリーもミニで…というよりは、ラリーを走るミニに子供の頃魅了されたので、ミニで
やるのは当たり前か笑
文字通りミニがライフワークになりました。
女房殿は「体のどこを切ってもミニ、金太郎飴 的な」とよく茶化します。
でも本当かも。
ずっとこのスタイルでいきます。
先を走っているまだまだお元気な先輩から、この夜は刺激をもらいました。

季節労働者…

現在では12月が『師走』とされてますけど、ご存知の通りこれは旧暦。
明治以降、新暦を採用されてからは約1ヶ月のズレがあります。
冬はご先祖様の供養をする家が多かったので、師(僧侶)ですら駆けずり回るほど忙しいから
『師走』。

***
娘は夏休みからパン屋さんでアルバイトを始めて、そろそろ戦力な感じです。
グレイスの長いお客様のところでお世話になっていて、社会勉強の為に行ってます笑
クリスマスイブに入るそうですが、クリスマスケーキの販売もあるしどうも半端じゃないらしい。

文字通り猫の手も借りたい、というイブ。
何を思ったか、『私』にまでお声がかりが…
てっきり私は、店長の奥様と露天でクリスマスケーキを売るんだとばっかり思ってたんです。
私、勤めていた頃は販売しかしてません(輸入車・輸入鞄)ので、売り子ならどうにか…
ところが、よくよく聞くとコロナ騒ぎ以来、露天では売ってないとか。
…じゃぁ、何するんだ?

スタッフの皆さんはレジに張り付きっぱなしになってしまうので、それ以外 だそうです。
具体的にはトレイとトングを回したり(洗う→入り口脇へストック)が主、だというんです。
やれやれホントにそれだけかね?
参ったな…戦力になるんだろうか…
日頃の感謝を労働で…というつもりで受けたけど、さて返せるだろうか。

スタッフは制服を着ています。
スタンドカラーの7部袖カノコシャツに紺/白ストライプの帽子、エプロン。
ここまでは支給、ボトムスは黒のパンツをそれぞれが用意します。

「娘と同じ制服は着たくない!」

すかさず言いました…だってそれって公開処刑!
汚れるからエプロンはしてもらうわよ〜
ってことで、黒のハイネックでも着て裏方に徹します。

イブにケーキのご用がある方は、是非いらしてくださいね笑
夕方前から、ご奉仕するつもりです。
パンも、目が回るくらいたくさんの種類が、お客様をお迎えします(宣伝)

京浜急行 金沢八景の駅前です(是非)

全く…弄ばれてるなこりゃ

Austin Healey Sprite が2台。
どちらも逝ってしまった、私の友人ゆかりの車です。
赤い方のウインドスクリーンが、やってもやってもダメ、取り寄せてもガラスが入らない…
参ったなぁどうしよう…

大昔に青い方のオーナーに、スクリーンをもらったのを思い出しました。
長〜いこと眠っていましたが、組み合わせてどうにか1台分になりました。

あぁ。
なんてこと。
今頃あちらで、ボクのことを見て笑ってるんだ。
やーっと気付いたョ、何やってんだか笑…そんなところでしょうか。

悔しいような気もしないでもないけど、残念まだボクは元気にしてるのでそっちはそっちで勝手に
やって下さいな。

わーおビックリ

最近ビックリすることが立て続けにあったので…

① 全日本ラリーでお近づきになって絡ませてもらってるお仲間が、グレイスを訪ねてくれた

今年になってから、エントリーリストに名前を見かけなくなって。
どーしたんだろ…気になってたんですが、先日のラリー丹後のサービスで会えました。
昨年、セントラルラリーの後に体調を崩されて、今はゆっくり回復充填期間中。
(画像は Forum 8 Central Rally 公式ウェブサイトより)

丹後で「遊びに行くよ」
奈良の方なんですが、ご家族のお祝いごとで1週間ほど逗子(!)に滞在とかで、お訪ね下さい
ました。
スゴいなぁ…
全日本ラリーに出るようになったら、クラブの練習会に全日本に出てるラリーストがぽつらぽつら
遊びに来てくれるようになったり、今度は…店に!
ビックリそして、嬉しいなぁ。

② 染め屋さんの担当者が!

グレイスの30周年の時に手拭いを作ったのですが、その時相談したのが浅草の『染の安坊』さん。
日本の伝統柄を使いたかったので、担当の方に相談。
家紋とコンビネーションのセミオーダーデザインをご提案頂きました。
地色は赤、娘が描いたミニを家紋によくある 丸 の中に配し、創業年と30周年を迎えた年とを
染め抜き、柄の半分は『結び文』。

過去のブログが飛んじゃったので、せっかくなのでうんちく(作った時の想い)を…

= 地色 =
ミニの塗色から選んでもよかったのですが、お祝いだし魔除けの意味もあるので『赤』に。
= 文様『結び文』=
– 人と車
– 過去と現在(古い車に携わってますから)
– 人と人(新 / 旧オーナーとか、車が縁で深まる人の輪とか)
これまでも、これからも、「結ぶ」ことを大切にしたい、という想いを込めました。

そんな想いを全部汲んで形にしてくれたのが担当の方。
熨斗の表書きは「お陰様」としました。


と、前置きはこのくらいにして。
去年、高山がホストシティで行われる全日本の1戦『ハイランドマスターズ』移動中に立ち寄った
談合坂SA でのこと。
トラックに戻ると、しげしげと競技車を眺めている人が。
「KITANI … さん、ですよね?」

その人は、『染の安坊』の担当者の方、三浦さん。
2016年にグレイスで手拭いをお願いした縁で、『横浜ヒストリックカーデイ』の10回目記念品に
手拭いを頼んだんです。
お休みの日にドライブで中央道を走り、談合坂でトラックに載っかったミニを見つけ、近寄ると…

KITANI

(競技車には記名?がされてますからね笑)

うぉマジかココでかと三浦さん思ううちに我々がトラックへ戻り、双方大いに驚きそこで

「はじめまして〜」(笑)

そう、手拭いの図案相談から見積もり、発注入稿納品まで、2度も依頼しておきながら1度もお目に
かかっていないというこの図々しさ。(お店は浅草です)
広い広い談合坂の SA 端っこに目をやれば、幾度となくしたやり取りの中で伺っていた VW Golf 1
Cabrioletが。
こんなところで会うなんて…さすがに互いにご縁を感じつつ、遠征へ向かう我々は激励を受け一路
高山を目指したのでした。

(実は私や店主がセントラルラリーへ遠征している間に開催した、横浜ヒストリックカーデイにも
お運び下さっていました。お声掛け下さればよかったのに…)

という出来事があったのが、去年の10月。
ココからが本題です笑

28日(土)染め屋の三浦さんがグレイスにやってきた!
もちろん VW Golf 1 Cabriolet で ❤︎
こちらのほうにお住いのお友達と会うのにお出かけとかで、その足で寄って下さいました。
まぁこちらは驚いたのなんの。
三浦さんと会う時はビックリしかない笑
伝統ある日本の染め(手拭いより半纏がお仕事の主軸だとか!浅草といえばお祭り–>半纏!)
に携わる中で、新しい出会いとか融合とか、伝統あるものに潜む可能性みたいなお話も
して、
かなり楽しいひと時でした。
もちろん我々の続けてきている仕事や活動のことも、改めて現物を前に紹介して、同じ古いものに
携わる立場として、うなずくことが多くありました。
ボディワークも興味がおありでしたが都合がつかず、次回お訪ねいただく口実ということで、
また
会うことを楽しみにしている我々です。

グレイスは今年36周年、干支が3廻りした訳ですが手拭いを注文してはや 6 年。
40 周年はどうしようか…