そうだ、お墓行こう2023 東北行き

お休みをいただいて、今日は石巻に住む兄を訪ねます、
兄は先の震災の時、津波で長男を亡くしています。
今年は十三回忌にあたる年、どこかで来るつもりで画策していましたが、長姉の闘病そして看取り、
続く一連の送りの儀式と慌ただしく時間が過ぎました。
今年が終わってしまう前にどうあっても来ておきたくて、車を走らせました。
姉のことはもちろん、その他あれこれ報告したいこともあったので。

私には母親の違う兄弟が5人いましたが、気付けばもう石巻の兄を残すのみ。
その彼も来年年男(84歳)、今回3年ぶりでしたが心配していた「劣化」はほとんど感じられません
でした。
まだ現役で、法人ではありませんが代表者としてバリバリ働いているので、そこはさすが。
が、やはり小さくなったなぁ…っていう印象でした。

近況を報告し合い、技術者が育たないことを互いに憂い。
墓参りへ行きました。
兄の長男と、兄より先に逝ってしまった(もう20年以上経ちます)兄の連れ合いがお祀りされてる
ことになっていますが、骨は1人分。
そう、津波で連れ合いの分は流されちゃった。

お参りをして次に立ち寄ったのは、石巻南浜津波復興祈念公園
特に被害の大きかった住宅密集地区を公園とし、市民が活用できる施設と慰霊碑があります。
慰霊碑には、この地域で亡くなった方のお名前が記されています。

慰霊碑の設置にあたっては、役所から兄のところへ名前を列記してもいいか問い合わせがあったそうで。
特に断る理由もないので承諾したそうですが、問い合わせをする人もいない…つまり一家で被災し命を落とした人は、名前が載っていないわけで。

兄はこの土地のこの使い方や、やたらに道路を整備する行政のお金の使い方に、だいぶモヤモヤ
しているようでした。


私は当事者ではありませんが、近い人に被災した人がいて命を落とした人もいて。
直後に兄を見舞ったので、目の当たりにもしました。
少し記録があるので、忘れないためにも何枚か載せておきます。

兄の経営する工場の正面に、流れてきた車が突き刺さっています。

これは震災から1ヶ月後、兄の工場のまわりの様子。
ここには写っていませんが日本製紙の石巻工場がすぐ近所にあり、紙が何もかもに紛れて重さ+時間が経った後は、紙(水を含んで腐った)も環境悪化に大きく手を貸したようです。   


こちらに1泊して、明日はゆっくり帰ります。

夏休みっぽいのを、ちょいと。

子どもたちは夏休み。
娘も、さすがに宿題がわんさか出るような年でもないのでこういうの、なんか懐かしくて。

コレは夏の宿題ではありませんが、絵日記。
毎年、秋には学校を2週間休んで親の渡英に同行していたので、大抵何某か宿題が出されます。
2014年、2年生の娘が書いた、ラリーフィニッシュの日の絵日記。

何よりもデカく書かれている時計は、TC の看板。
ミニが小さく描かれているのは、手前から奥へフィニッシュラインを走り去るところだから。
右のとんがり三角は、進行方向が一定以上の角度で曲がる時(何°だったかな…忘れました)に
その方向を示すもの。
彼女はそのサインを理解してるから、ちゃんと描いてる。

石塀の隙間から、草が生えてるのもさりげなく描いてある。
砕いた石を積んでるから形も大きさもまちまち、隙間ができてそこから草が生えるのはお約束。
(こんな感じ、ちなみにココはウェールズの Chepstow という町の、町をぐるりと囲む壁)

ラリーを知ってる人が見ると、ニンマリしちゃう絵日記なのでした。

作業靴を洗いました

ここ数年、夫の夏の足元は専らワークマンのデッキシューズです。
安い、そしてゴムの耐久性がまぁ期待できるので。
…そうは言っても、日々機械油を土間で踏んでいるのでゴムのソールがだんだんと溶け、ソールと
本体をつなぐ縁のゴム(フォクシングテープ))が本体から剥がれ始めてしまったら、天寿を全う…

どうせ汚れて、長〜く履けるものではないのですが、汚いのは困るので1〜2回は洗います。
基本触るのはお客様の車、試運転や作業で車に乗ります(当たり前よね)から。

右が洗ったもの、左はこれから。
全体的に見てもそうですが、かかとの部分やキレイになりましょう?
黒もあるんですが(左端に写り込んでる)汚れてるんだかそうでもないのか、はたまた汚れが落ちた
のかそうでもないのか何にもわかんないので、次からは二度と買わないって言ってます笑

デビがいた5月

先日、我々の元に彼の冒険記を送ってきた David ことデビ(我々家族はそう呼んでる)。
彼はは当初、日本をアメリカ大陸とユーラシア大陸の継ぎ目程度にしか思っていなかったようです。

でも、日本でいろんな面白い思いをしたからか、日本を去る時には

JAPAN

マジックで書き足して、ウラジオストックへ発っていきました。

***
グレイスに来る仲間と鎌倉へ出かけたこともありました。

我が家にはしばらく滞在し、短い間でしたが文字通り寝食を共にしました。
きっと日本で、しかも民家にしばらく滞在することなど、彼は想像していなかったでしょう。
お箸で一生懸命食事をし(トライしてました)、味噌汁を一緒にすすって。
とある月曜日には、夫担当の餃子で食卓を囲みました。
食後には、紅茶を飲みながら娘とお絵かきをし

小学校のスポーツデー(運動会)に、日本のとある家族と参加することになろうとは笑
もちろん昼食は4人で弁当をつつきました。

我々の元を去ってミニ屋などに立ち寄りながら境港まで行く道中、愛知県警のパトカーに止められ
数時間、警察署に留め置かれました。
日本のナンバープレートの付いていない車両が、公然と走っていたのに驚愕したようです。
言うまでもないことですが、自動車カルネ(自家用自動車通関手帳)を携行して彼は世界を旅して
いましたが、その呼び止めた警察官は不勉強で自動車カルネのことを知らず、おまけに少し調べれば
わかりそうなものを何時間もお茶だけ出してデビをそこに留め置いたらしいのです。
現地からガレージに電話がかかってきました。
説明し、ジュネーブ条約に1mm の抵触もしないこと、だいたい警察が何をやってんだと半分キレて、
最後は昼食にカツ丼が出てきたとかって(確かそう言ってた笑)。
アホか。
今回出版の本には、やっとカルネが理解できて放免(そもそも留め置かれる理由がないけどな)に
なった時に、署で警察官が手を振って見送る写真が掲載されていました。
やれやれ恥ずかしいね。

***
ロシアで時におっかない思いをしながらも、一目散に大陸横断。
確か8月いっぱいには長い冒険を終えたと、彼から連絡があったように記憶しています。

で、9月。
我々はラリー参戦のためマン島へ。
そこへ彼が現れたんです。
なんという友情でしょう…ね。
その後、娘さん Louise がマン島のラリーにミニで参戦するようになり、デビはサポートで付き添い
マン島で何度か会いました。

以来、折に触れメールで彼の故郷の美しい風景や近況を伝え聞いていました。
彼の故郷は Isle of Mull スコットランドの島。

マン島のそれとはひと味もふた味も違うラリー “Mull Rally” が開催されることで有名です。

彼はもう1度日本へ来たいと常々言っているのですが、パンデミックもあり実現にはまだ遠い道のり
といったところでしょうか。
そうこう言いながら、この先は年齢的なものも出てくるでしょう…
つくづくパンデミックが恨めしく思えますが、それは誰の上にも等しく起きたこと。
彼の壮大な冒険記には、勇気や希望がたくさん詰まっています。
縁のあった人には特に、読んでほしい1冊です。
(旅の経過がかなり細かに書かれていて、なかなか面白いです)

Facebook で近々、購入の方法が示されるようです。
その時はまたここでおしらせします。

“Silent Wish”

昨日、ポストに外国から小包が投函されていました。
差出人はDiddy Dave こと、David Thomas 。
グレイスのブログが一昨年秋にすっ飛ぶ前から読んでくださってる方はご存知かと思いますが、
スコットランドの小さな島、Isle of Mull 出身のミニエンスージャストで、ラリーストでもあります。

現在は、娘さんの Louise がミニで走っていて、我々もマン島で何度か一緒に走ったことがある
仲間です。
日本には、一番いい陽気…風薫る5月に1か月ほど滞在したことがあります。

実は David とは、今年のマン島で再会していました。
Louise のスポンサーチームのお手伝いで島に来ていて、会うことができました。
我々は彼が来ることを知らされておらず、まさに Big Surprise! 再会を喜び合いました。

その時に、彼が本を出版すると聞いていました。
そのうち送るから!

…届きました。
“SILENT WISH”
(脇に写る小さなお皿は、彼に以前もらったもので故郷の Isle of Mull の全景が描かれています)

ナニナニ…

***
ちょうど10年前、彼はカスタマイズした Mini Van で世界一周の旅に出ました。
UK – CANADA – ALASKA – RUSSIA – EUROPE -UK

その途中でアメリカから日本へ渡り、横浜で車を受け取り自走で大陸(ウラジオストック)への
フェリーが発着する境港(鳥取県)まで移動、ロシアへ渡って日本を通過していきました。
最初3月ごろだったかな?彼から email を受け取りました。
車両を製作した Mini Sport の Daniel に「日本を通るなら Shinobu に連絡しろ」と助言を受けて、
連絡している、とありました。
(なんでだか知らんけど、彼はそう言った…David は若干意味わかんね的な反応だった)

車両の入港に合わせて、GWの最後に空路日本へ到着、夫に再度連絡がありました。
夫は関内だったかな?のホテルを引き払わせて、金沢八景の旅館へひとまず数日滞在、その後は
我が家に逗留していました。
で、車両の受け取りのために税関へ。
そこで彼は、Daniel が言った「Shinobu に連絡しろ」の意味を知ることになるのです…

日本の水際の煩わしさ、言葉の壁、鎖国にも似た「井戸の中」のような環境…
大黒埠頭でまず X線検査を受け

彼はこの車で野営をしながら旅していましたから、家財道具満載。
ぜーんぶ物を出して

やっとこせ受け取って、ベイブリッジへ向かうも

車がトラブル
(長旅の後のコンテナ海運が影響してか、ラジエータのロアホースが破裂)

牽引で我々の自宅まで(よく見ると左下、牽引ロープが写り込んでる笑)

やっと自宅へ到着
(ガレージ建つ前なので、広々…芝生も青々…)
かくして、彼は最初に拙宅に泊まった客人となったのでした(しかも長逗留笑)。

10年も前のことなのに、ついこの間のことのよう。
彼が来た時、娘は小学校1年生でした。
(私も随分、年を取ったんでしょうか…やれやれ)

彼の著書を紹介したくて書き始めましたが、いろいろ思い出してたら面白くなってきたので、
ちょっと思い出話にお付き合い下さい。

ちょっと拾いもの

娘が、ネットで画像の調べモのをしていたところ…
「ねぇ、古いの…」

今年のラリーは、コ・ドライバーが交代します

2013年6月4日の Blog の記事。
女房殿こと私が、店主であり夫の隣に乗る(コ・ドライバーを務める)ことをお知らせした時のもの。
夫の率直な気持ちが、包み隠さず記されています。
読み返してみると…10年続けてどうなったかは、いつもご覧下さってる方ならご存知ですよね。
老いを受け入れながらの身の丈にあった組み合わせは、いい具合にかみ合いしかも思った以上に
アグレッシブな活動に繋がっています。
スローライフ…笑

脇の短冊に居る記事へ、リンクもできましたので良かったら読んでみてください。
もう1つだけ見つけたので、それはまた日を改めて。

娘の記憶

ずいぶん長いこと私の夏のローテーションの中にいる、ヨレヨレの Tシャツ。
下北沢にお稽古(お茶)に通ってる頃に、お稽古場の !F (先生のお宅の持ちビルだった)の
服屋さんで買ったもの。
ってことは、今年16歳になる娘より、付き合い長い。
こんなの。

背面はこんな感じで首筋あたりにワンポイントが入ってる。

今日、コレを着ていたのですが娘が朝、開口一番
「わぁこの Tシャツ懐かしい…おんぶしてもらった時に目の前にこのプリントがいつもあった」
なんでも、首から肩へのとおりに頭を預けると、髪の毛がくすぐったいからやめてくれと言っていた
そうで(本人覚えてないんですが…)おんぶの時は姿勢良く?いつも正面を向いていたんだとか。
それじゃくたびれておぶさったって寝られないじゃないか…鬼のような母親です笑

不意にそんな娘の昔の記憶を耳にして、ほんわかした気持ちになりました。
こんな話、聞いたことなかったので。
娘の靴好き(絵に描くのも大好き)は、この Tシャツの影響もあるのかな…なんてね。
5年前、10歳の頃書いたお気に入りだったスニーカーです。

Get Back

ここ数日、帰宅してからの楽しみはコレ…

1969年、アップルコア本社の屋上で行われた The Beatles の最後のライブパフォーマンス

そこに至るまでの三部にわたるドキュメンタリー映画。
限定配信されたのは知っていたけど…
DVD になって発売されるという情報を得て、女房殿が早々に Amazon で予約するも発売が延期を
繰り返していたようです。
(注文済みであることを女房殿は私に内緒にしていたので、私は詳細を知る由もなく)

数日前、ついに到着!
風呂 → 夕食後におおむね1日1本のペースで観ていました。
(もう見終わっちまった…)

監督はニュージーランド人のピーター・ジャクソン、『ロードオブザリング 』シリーズ の監督と
いえば伝わるかな。
56時間にも渡る未公開映像が、最新の技術を駆使して 120分 x 三部にまとめられたんですが、
作業はニュージーランドで行われた(封じ込めに成功した数少ない国)ため、比較的空白の時間は
少なかったようです…とはいえ制作は当然パンデミックの影響を大きく受けました。

わずか50年足らずでこんなに激変した時代はないんじゃないのかな…
機材や道具に見る変化はもちろんなんですが、

まーみんな、タバコすんごい吸ってるし(今やパブですら喫煙できる場所は裏口の灰皿の辺りだけ)
まーみんな、お茶ばっか飲んでるし(今やスタバや Costa などコーヒーも極めて一般的)
映像に登場する人たちは、街を行く人も含めてほとんど細身(今や太めの人いっぱい)

生活様式が大幅に変わったんだなぁ。
今や、イギリスで食事をすると生野菜(サラダっぽいもの)がフツーに出てくるもの。
25年前じゃ考えられないことです。

それより、The Beatles としてのメジャー活動期間は8年(1962〜1970)足らず。
ほんのわずかな時間だったにも関わらず、時代を虜にし後世にまでその影響は計り知れないものが
あります。
小学生だった私は、レコードをすり減るまで聞いたものです。
小3で家族に転機が訪れ、心の支えになったのは音楽と鍛錬(剣道)でした。

私の贔屓は George Harrison、今回のフィルムを見てもつくづく「気付くと音楽が馴染んでる」
そんなキャラクターであったのが伝わってきました。
あんだけタバコ吸ってりゃ、体も悪くしますって…彼は2001年に亡くなっています。

久しぶりにいろんなことを思い出した、懐かしい時間でした。
時に、ヨーロッパで発生している熱波が、スペインもフランスも超えてイギリスへ達する勢いとか。
みんな大丈夫かな…

紙は偉大

何でも今ドキデジタルデジタル…というけれど、紙はやっぱり偉大。

これは1983年に発行された、Austin Healey の出生証明書。
発行したのは、British Motor Industry Heritage Trust(今はBritish Motor Museum の一部門) の
前身、BL Heritage Limited 。
出荷日、販売元(ディーラー)、オプション装備の細々まで。

そしてヘッダーとフッターのイラストが、抜群にステキだと思いませんか?

タンクフォーム

奥に写る Big Healey 。
ワークスラリー仕様に仕上げたのはかれこれ20年以上前。
燃料がタンクの中でチャポンチャポンして競技中に安定して吸えないのを防ぐために、
競技車の燃料タンクの中にはウレタンフォームを入れるんですが、それが寿命を迎えて
ホロホロになり燃料パイプへ 侵入、息つくような状態になっていました。

我々の競技車にももちろん入っていて、2014年だったかな…本番中に悪さをされました。
思えば、我々の本番車は一年の半分近くを海運のためにコンテナの中などで過ごしてるので、
保管の環境としては割と過酷なのです。

マン島北部 TTコースのジャンプスポットとして有名な “Ballaugh Bridge” のたもとにて。
あまりしないことですが、サービスに来てもらって路上サービス中。
最初、原因がわからなくって…

ずいぶん行けていません…だいぶ記憶も薄れてきましたが、いろんなことがありました。
いつ、晴れやかな気持ちでかの島へ行けるんだろう。
夏に、ひとまず競技抜きで訪ねたいと思っていますが、どうなることやら。