ドライビンググローブ今昔

今週は、車検ばっかりいってたので日々を綴ろうにも面白みにかけたのでつい…


来週末(土曜の未明)には出国です。
今朝、Sportity(スポーツイベントの情報を配信するアプリ)を通じて、Manx Rally 2025 のロードブックが公示されました。

今日は帰宅後、夫がレーススーツなどの装備品を支度していました。
(ナメた話なんですが、私は支度したことないんです…)

装備品一式が収めてある衣装ボックスの片隅に、ドライビンググローブが残っていました。
この20年あまりの間に、グローブもずいぶん変化したものです。

スウェードの手袋なんて、もうずいぶん前のものです。
装備品は、その競技会の格式や国にもよりますが、FIA(国際自動車連盟)の承認を受けたモデルを使わなければなりません。
定める規格は、より安全な素材へと時代が進むにつれてアップグレードしています。
ウエアの類に最も求められるのは、「耐火」です。

新しいモデルが出ると、耐火に加えてグリップ性を考慮したデザインなど、改良がなされてきました。
こう並べてみると、一目瞭然ですよね。
古いものをはめてみましたが、ずいぶんともっさりとした印象…
素材自体も薄くなっているので、握った感覚はより伝わりやすいのは新しいもの。
後戻りできません。

安全装備は、モータースポーツをする上で最優先事項です。
お客様や仲間がこの領域に足を踏み入れようとする時、必ず強く言います。
車のチューニング?そんなのあとに決まってます。
最初っから速いのに乗れるの?
チューニングは一番最後です笑

一番に考えねばならないのは、安全のこと。
車を安全に作る(そちらにお金をかける)
そして装備品はケチらない。
これは、ひいては車でスポーツをすることに理解を示してくれる例えば家族の気持ちへの礼儀。
初めは大して速く走れずとも、でも危ないことをしているので、気持ちよく送り出してくれる理解者の気持ちに応えるためにもそこは最優先で考えるよう話しています。

だんだん本番が近づいてきて、緊張感が高まってきます。
競技ももちろんですが

諸々片付けて段取りつけて日本を出る

これもなかなか緊張感を持って向かわなければならないミッションです…笑

水曜夕方のFMプログラム

NHK FM の水曜夕方は、JAZZ が流れています。
帰宅の折に聞こえてくるときまって、数年前 数年間に渡って続いていた義兄の通院の
付き添いを思い出します。

多発性骨髄腫で下肢が不自由になった義兄は、自宅で暮らすことが困難になり施設でお世話になる
ことになりました。
前後して定期受診が始まり、金庫保管を求められるような薬を使っていたので通院は少なくとも
2週間に1回という頻度でした。
数値が悪いと「また来週」。
定期受診の2回に1回は、血液製剤の点滴付き(少なくとも2時間)。
本人は通院に昼寝付き(笑)で、ずーっと車椅子に座っているより体への負担は軽減できるので
よかったのですが、付き添いは盛大な待ちぼうけです。
書類を持ち込んで廊下の椅子で仕事してました笑

運よく彼の生活圏内に多発性骨髄腫の権威が居て、施設から荒川を渡れば病院。
血液内科は激混み、そして横浜から迎えに行って通院ですから…
施設の方々も、それはそれは親身になって持病と向き合ってくれました。
家族が通院を担うことで強い連携が取れ、家族としても施設側としてもいい体制だったと思ってます。
ただ、いかんせん距離がありました。
娘は中学に入るタイミングだったので、味噌汁を作っておいてくれる位はしてくれるようになり
ましたが、通院の水曜日は食事の支度をあらましして午後の受診に合わせて本人を迎えに行く…
そういうルーティーンでした。

運よく早めに終わると、義兄を施設へ送り届ける車内で流れていたのが JAZZ の番組でした。
強い日差しの日も、氷雨の降る日も。

義兄は連れ合いを先に送ったのち、気持ちの整理がついてからは、我々の海外渡航に悉く同行。
仕事にも、ラリーにも。
殊、ラリーの時には、私がコドライバーとして乗るようになってからは(娘小1〜)娘の世話をしつつ
マン島で一緒にステージをまわったりしていました。
車も向こうでフツーに運転してたし、夫と2まわり違う義兄でしたが晩年動けなくなるまでなかなかの
バイタリティの持ち主でした。

まさか歩けなくなる日が来るなんて。
タラレバの話をしても詮ないことですが、病気の発見が早かったらまだ元気でいたのかしら。
まだラリーに一緒に行ってたかな。

水曜日、Jazz の番組が流れてくると義兄をいつも思い出します。
折しもマン島のラリーを4月の中旬に控え、細々準備も日々進めているので余計に思い出します。

冬が去っていく

毎日、私が最後にお風呂に入って、ユニットバスの壁やら蛇口まわりやら床やらを拭き上げてから
出ることにしています。
今日はいつもより2時間くらい早い入浴、湯気を逃すのに開けた窓から空を見上げると、オリオン座が
だいぶ西へ傾いていました。
あぁ、冬が終わって春が来る。
早いなぁ。

***
2年前の2月は、スノーラリーに店主が参戦。
孫の誕生を控えていたので、私と娘は参加せず。
世にも珍しい(?)リモート観戦及び現場の様子はこちら。

やっぱり好きなんだよ(故 篠塚健次郎さんとお会いしました)
今日から始まります
Rally of Tsumagoi 2023 Leg1
Rally of Tsumagoi 2023 Leg2
まつりのあとは掃除から

今年のラリーオブ嬬恋は、全日本からも外れ(昨年から)ナイトステージもなくなり(確か去年から)
ボリュームは我々が出た 2019 と比べると半分程度…
多分、もう行くことはないだろうな。
雪もグラベルもどんどんなくなって、つまらないなぁ…

噂によれば、選手権を戦う車がそういう路面(雪/グラベル)は苦手だから、って話です。
やれやれ何だそれ笑


今週末はラリー三河湾です。
2/27(木)午後〜日曜いっぱい 臨時休業とさせていただきます。

思えばョ〜 積載車の話。

私が就職したのは昭和53年。
神奈川県内で最大規模のスバルの個人ディーラーに、高卒で就職しました。

あの頃は大手(トヨタや日産)ですら、例えば横須賀地区で1台、といった風で現在のように各店舗
毎に控えているそんな状況はありえませんでした。
だってそんなに止まらない…もの。
仮に止まっても、現場へ道具と部品を持って急行し直しちゃう or 動くようにしてその足で入庫、
そういうことが殆どでした。
行った方がいいケースは…例えば事故で動けない、とかブレーキとか運転に支障のある場合、とか。

今はどうでしょう。
すぐに動かなくなって、レッカーを呼ぶ…昨今は自動車保険の付帯サービスにロードアシストって
あることが多いので、保険屋に連絡。
グレイスでも、人手の問題と出向く時間/お待たせする時間を考えて、保険の付帯サービスを利用
して入庫してもらうことが増えていますが。

動けなくなるケースって?
マネージメントシステムの不具合、圧倒的に多いんじゃないかしら。

自動車の事情も、随分と変わったものです。
同じ「自動車」というくくりのミニなどの古い車には起こりづらい不具合ですもんね。
(インジェクションモデルを除く…だから年式が新しい車は遺すのが難しいんです。)

こうなってくると、自動車は進化したのか退化したのか…わかりませんね。

ひょんなことから芋づる式

私の出た学校の同窓会が会報誌を発行していて、それが先日届いたのですが…
教わった先生のお悔やみ記事が掲載されていました。
学園出身の家庭科の先生で私は高3の時に教えて頂きましたが、後に小中高の校長も務めたそうです。

実家の母に伝えたところ、当時 私の話に聞く程度だったようですがにわかにその頃のことを
どばー
っと思い出したようで、出てくるわ出てくるわ…笑
5歳下の妹も同じ中高一貫の学校に通っていたので、我々の当時のこと、学校に通っていた頃の
出来事あれこれ(家族、親戚、etc…)、互いに懐かしく話しました。

母より *( )内は私の註釈
ずいぶん時は流れたもんだ
あの頃はまんまもいたし
(母と同い年の私の父方の叔母の愛称、当時40代前半。60代半ばでガンで他界)
ばあちゃんも元気で凄く充実していたわよ♪
(父方の祖母 コロナの入り端で101歳で大往生、当時は70代)
ばあちゃんのお世話みたいなことをしながら
アパートを見て(小さいアパートですが家作がありまして)
子どもたち(私と妹のこと!)に茶色い弁当持たせて
あー懐かしい
なんて老婆?

それに私が返信。
それを母の脇で見ていた父が、

「そんなに懐かしがって…誰か死んじゃったみたいじゃないか」

いいじゃないの。
みんなあの時があって、今がある。
あの後、あんなことやこんなことがあって、今がある。
今、こんな生活送ってるよ!なんて当時は想像だにしない。

母のメッセージを見るだけでも…
ばあちゃんが100歳超えて、総理大臣からお祝い状と記念品を贈られるとは思ってもみないし。
しかも、一時的な入院こそあれ、最後まで在宅で世話をやり切った。
…だから当時のことを、お世話「みたいなこと」と彼女は表現。
そしてばあちゃんの娘、父の妹であるまんまが、先に逝く(いわゆる逆縁)ことになるとは

今や、私もおばあちゃんですよーだ笑
みんなあの時があって、今がある。

母が「子どもたち」と言ってるのが、妙にこそばゆくって。
あぁ、私は父と母の「子」であったよ。
とんと立場が移ろいで、そんなこと忘れちゃってたよ。

また進化した…

ディストリビューターをリペアに出したのは、1月20日のことでした。
先方に到着後、すぐ連絡がありました。

無事受け取ったよ!最優先でやるから待ってて!

そして今日、もう帰ってきた!
仕事、速〜い ❤︎
おっ送り状が進化してるぞ…

“Reconstructive Surgery for Lucas Distributors”
(ルーカス製ディストリビューターの修復手術)

彼の技術のおかげで、我々の車は元気に走り続けることができます。
しかも、速いだけでなく丁寧。
彼の仕事、超好みです。
お…なんか彼の仕事を表すワンポイントが付くようになったぞ…

彼の自信の表れ。
そして需要があって彼の技術を頼る人はたくさん。
我々もその恩恵に預かっています。

これは2014年4月に単身、数日だけ仕事で渡英した時。
この時初めて、Doctor を訪れました。
特に大きな看板が出ているわけでもなく、出ているのはコレだけ。
女房殿に詳細地図をもらい、OS の地図とを頼りに向かったのですが、同じ道を行ったり来たり。
諦めかけた時、思い出したのが

「ゴミ箱のあるところ、人の営みあり」

写真には写っていませんが、杭のたもとに横に倒したゴミ箱が。
レンタカーを停めてよーく見たら、Doctor がにっこり笑ってた…
あれから10年も経つのかぁ。
程なくして Doctor は工業団地の中のもっと広い工房に引っ越し、そこも訪れました。
需要があるんですね…


文化の違う国で訪問先を訪ねるのは、時に困難を伴うこともあります。
オーストラリアのメルボルンから1時間半、Harcourt という小さな町にある
Morris Minor Garage
プライベートミュージアムを訪問した時のことを思い出します。
オーナーの連絡先は公開されていますが、所在地は非公開。
コンタクトを取ってから向かいました。
やはりパっとは探せず、行ったり来たり…
いくら走っても、景色がずーっと変わりません。
りんご農園とワイナリーだらけ。

そして見つけたのは、やっぱり『ゴミ箱』。
あーこんなんじゃ、わかんないって…

2エーカーのオリーブ畑、自宅、りんごの木もたくさん。
そんなところにプライベートミュージアムはありました。

この頃は、イギリスだけでなくオセアニアにも足を伸ばしていました。
ずいぶん時間が経ったなぁ。

ちょいと(オイラが)懐かしい系

先日、棚からポロっと落っこちてきたしなびた冊子。

『自家用車を英国に持ち込むにあたって』ですかね。
自家用車の一時輸入の登録証と共に、心得とか注意点とか、禁止事項とかそういうのがひと通り
記してあります。
1989年9月 KNY 53 HO 9741
Manx Rally に出た、私の初代の競技車、Smoke Grey の Morris Cooper です。

リバプールの運送/倉庫会社の、輸入貨物管理伝票も挟まっていました。
ずいぶん昔の話です。

***
今年の営業は本日、28日で終了しました。
今年もご愛顧下さり、ありがとうございました。

ここからは例年通り、店主の年末年始をポロポロ綴ります。
よかったら、時々覗きに来てください。

バトンリレー

先週、グレイスのお客様からお客様へのバトンリレーがありました。
2011年1月にフルレストアした個体を納車、今年が2023年ですからちょうど干支が一周したんですね。
車を仕上げてる時には、オリジナルの内装類がなかなかキレイだったので、オーナー自らクリーニング
して、今日まで使ってきました。
探したら当時の写真がありました!

懐かしい…娘が4歳の頃ですね。
2枚目の写真は髪の毛がヘロヘロで、おそらくビニールプールに入った後だったんでしょう。


数年前から、降りる話は出ていました。
どのタイミングかずっと探っていました。
年齢が来たから諦めることは簡単なのですが、いわゆるこの手の車は実に不思議な存在で…
傍に居て元気をくれたり、体調が優れなかったら再び運転する日を想像しながら日々の励みになったり。
でも一方で、車は道具ですから動かさない(使わないのに置いておく)のは問題。
そんな心模様と葛藤しながら、オーナーの方からは

「次乗る人を探しておいてほしい」

と相談を受け、僭越ながら然るべき人(とこちらが思う方)に声をかけさせてもらって、ひとまず
バトンリレーのお話はまとまりました。

それから時間が経ち、「その時」が近づいてきた、そんなタイミングで…
人同士がなじむところから始めてもらいました。
会って食事をして、ご自宅で話に花が咲き、馴染んでいきました。

で、先週。
錦秋の(そんなにキレイじゃないか…)上郷で、バトンリレー と相成りました。

後ろが新しいオーナーがこの日まで乗ったミニ。
すんごい偶然ですが、同じ色 Maroon 。
彼が数年前にこのミニを買った時から、実は決まっていたんですかね〜

降りる方の希望で
 引き渡しはグレイスで
 帰りは送ってね
ということで帰りは仲良く2人で Mk1 に乗ってお帰りになりました。


置いていかれたほうの Maroon 。
これまでのオーナーの好みで、グリルバッヂがいくつもフロントを飾っていましたが、全て取り外され
そして車は…ピッカピカ。
立つ鳥跡を濁さず。
こうありたいものです。

そうだ、お墓行こう2023 東北行き

お休みをいただいて、今日は石巻に住む兄を訪ねます、
兄は先の震災の時、津波で長男を亡くしています。
今年は十三回忌にあたる年、どこかで来るつもりで画策していましたが、長姉の闘病そして看取り、
続く一連の送りの儀式と慌ただしく時間が過ぎました。
今年が終わってしまう前にどうあっても来ておきたくて、車を走らせました。
姉のことはもちろん、その他あれこれ報告したいこともあったので。

私には母親の違う兄弟が5人いましたが、気付けばもう石巻の兄を残すのみ。
その彼も来年年男(84歳)、今回3年ぶりでしたが心配していた「劣化」はほとんど感じられません
でした。
まだ現役で、法人ではありませんが代表者としてバリバリ働いているので、そこはさすが。
が、やはり小さくなったなぁ…っていう印象でした。

近況を報告し合い、技術者が育たないことを互いに憂い。
墓参りへ行きました。
兄の長男と、兄より先に逝ってしまった(もう20年以上経ちます)兄の連れ合いがお祀りされてる
ことになっていますが、骨は1人分。
そう、津波で連れ合いの分は流されちゃった。

お参りをして次に立ち寄ったのは、石巻南浜津波復興祈念公園
特に被害の大きかった住宅密集地区を公園とし、市民が活用できる施設と慰霊碑があります。
慰霊碑には、この地域で亡くなった方のお名前が記されています。

慰霊碑の設置にあたっては、役所から兄のところへ名前を列記してもいいか問い合わせがあったそうで。
特に断る理由もないので承諾したそうですが、問い合わせをする人もいない…つまり一家で被災し命を落とした人は、名前が載っていないわけで。

兄はこの土地のこの使い方や、やたらに道路を整備する行政のお金の使い方に、だいぶモヤモヤ
しているようでした。


私は当事者ではありませんが、近い人に被災した人がいて命を落とした人もいて。
直後に兄を見舞ったので、目の当たりにもしました。
少し記録があるので、忘れないためにも何枚か載せておきます。

兄の経営する工場の正面に、流れてきた車が突き刺さっています。

これは震災から1ヶ月後、兄の工場のまわりの様子。
ここには写っていませんが日本製紙の石巻工場がすぐ近所にあり、紙が何もかもに紛れて重さ+時間が経った後は、紙(水を含んで腐った)も環境悪化に大きく手を貸したようです。   


こちらに1泊して、明日はゆっくり帰ります。

夏休みっぽいのを、ちょいと。

子どもたちは夏休み。
娘も、さすがに宿題がわんさか出るような年でもないのでこういうの、なんか懐かしくて。

コレは夏の宿題ではありませんが、絵日記。
毎年、秋には学校を2週間休んで親の渡英に同行していたので、大抵何某か宿題が出されます。
2014年、2年生の娘が書いた、ラリーフィニッシュの日の絵日記。

何よりもデカく書かれている時計は、TC の看板。
ミニが小さく描かれているのは、手前から奥へフィニッシュラインを走り去るところだから。
右のとんがり三角は、進行方向が一定以上の角度で曲がる時(何°だったかな…忘れました)に
その方向を示すもの。
彼女はそのサインを理解してるから、ちゃんと描いてる。

石塀の隙間から、草が生えてるのもさりげなく描いてある。
砕いた石を積んでるから形も大きさもまちまち、隙間ができてそこから草が生えるのはお約束。
(こんな感じ、ちなみにココはウェールズの Chepstow という町の、町をぐるりと囲む壁)

ラリーを知ってる人が見ると、ニンマリしちゃう絵日記なのでした。