祥月命日

昨年もココで書いたんですが、飛んじゃったので…

店主こと私の、父は53年前に亡くなりました。
大雪になったその日、みまかる間際に父は「鰻が食べたい」と言いました。
大慌てで病室に出前を手配するも間に合わず。
年の離れた兄たちは、「供養だからお前が食え」といい、言われるままに9歳の私は
届いた鰻を食べました。

実はそれ以降、私は大人になるまで鰻を受け付けられなくなりました。
父に連れられて下町の鰻屋によく行きました、好物だったのに。
20代の後半だったか…仕事がらみの寄り合いが鰻屋さんにセッティングされ、
イヤ参ったと思いながら口に運んだら…何も起きませんでした。
20年近く経って、今際の際に食べそびれた鰻うらめしや…
まぁ一人前になったかねぇ、ってことでお許しが出たんでしょうか。


祥月命日には、鰻を陰膳に用意して自分らも相伴してきました。
が、近所の馴染みの鰻屋がパンデミックで店を閉じてしまい、昨年からは鰻屋さんへ行って
食べてくるようになりました。

江戸の時代から、金沢八景あたりは中心から少し離れた行楽地/景勝地でした。
もうすっかり寂れましたが、料亭や旅館があり賑わいを見せていました。
伊藤博文が明治憲法を編纂したのも、このあたりにあった別荘でした。

なぜか旧街道沿いに鰻屋が4件もあって、そのうちの1件 伊藤博文も気に入って通った
という『鰻松』へ。
去年もお雛様が飾られていましたっけ。
もう1年経ったんだなぁ…何事もなく今年も来られた。

去年同様、女房殿は酢の物を注文。
鮭と食用菊かな…を大根で巻いたもの、海老、帆立、小肌、蓮根、わかめ、胡瓜、もずく
程よい甘酢で今年もシビれていました笑

そしてもちろん鰻はふわっふわ。
山椒は2色、普通のに加えて『ぶどう山椒』を挽いたものもあって。
強い刺激と辛みが特徴、香りも強めです。
お店の注意書きによると、鰻が負けちゃうので鰻ではなくご飯にかけて召し上がれ、と。


先に逝った人を思い、今に感謝する。
私は晩年の子だったので、父は私が9歳の時に逝ってしまいました。
当然、父を知らない女房殿と娘とを伴って、在りし日の話をする…温かい気持ちになりました。

このお店ヘは、来年のこの頃にまた。

だいぶ陽が伸びました

2月も終わろうとしていますが、だいぶ陽が伸びましたね。
3月の下旬には春分(昼/夜の長さが同じ)を迎えますからさもありなんですが。

暖かさも感じる工場では、三人三様。
店主は Fiat 595 Abarth の配線交換

グルメメカは車検整備
おや、手前にはキレイ担当。

オリジナルのステアリングハンドルをリフレッシュしています。
丁寧に研いでいます。

どうせやるんだから

40年も50年も経ってる配線を、そのままにはできません。
いろいろ手を加える計画ですが、その前に配線を取り替えます。
追加する計器も決めてあるので、その分の配線も今のうちに仕度しておこう。

仮にエンジンに手を加えても配線そのまんまでは、せっかく出ているであろう出力も満足に引き出せない。
配線大事ですよ…
かーなーりー 効果を実感できます。

オリジナルを

オーストラリアから渡ってきたトラベラーの、オリジナルのグリルをメッキに出します。
かなり下処理が大変でしたが、どうにかここまできました。

昨今はメッキも、環境との兼ね合いもあり施してくれるところも限られてきています。
需要と供給とのバランスもあり、値も張ります。
でも、オーナーは『メッキかける!』と決断。
いい仕事がまた1つ、残ります。

いつも迎えてくれた人

帰宅した私に、女房殿が
「ステージラリーを始めて10年だけど、ついに私が知ってる人がお星様になった」
え誰?今度は誰なの…?

Rally Isle of Man 2009

これは2009年、私が10年振りに海外のラリーに復帰した時、Rally Isle of Man です。
2日目の市街地ステージ、Castletown の中心にあるパブ(George Hotel)2階バルコニー。
階下にはこのステージの見どころであるモニュメントをかすめていくシケイン。
エントラントのプロフィールなどを交えながら実況しているところを、まだ私の隣に乗る前の女房殿が撮ったものです。
眼下はちょうど、こんな感じ。


Bob Milloy さん

名物インタビューアーで、BRC(British Rally Championship)のイベントをはじめ、我々が
毎年お邪魔していた Rally Isle of Man でも必ず見かける顔でした。
スタートですべての競技者を送り出し、フィニッシュで完走者をいつも迎えてくれました。
我々同様、走り切ったらあの顔あの声…と思ってきた競技者はすごい数でしょう。

2013年、コドライバーを女房殿にスイッチして臨んだ最初の年。
ラリー前からフィニッシュまで、都合5〜6日間両親にほったらかされてた娘が、女房殿に
ひっついてますね(小1)。
毎年、どんぶらこっことやってくる極東からのエントラントを、温かく迎えてくれました。
左端の車検委員、 Paul さんもいつもニコニコ。
彼らに会うと、あぁ今年もやってきたなと思ってたのに。

Rally Isle of Man 2013

この年も、

RallyIsle of Man 2014

Team Japan 4台体制で臨んだ、この年も。
我々クルーは、最終日ギヤボックストラブルに見舞われフィニッシュラインは通れず。
でも、けつっぺたがフィニッシュする時分にはどうにかグランドスタンド(スタート / フィニッシュ地点)に戻ってこられて、完走した仲間のインタビューに立ち会うことができました。

Rally Isle of Man 2015

この年は主催者からのオファーがあって、Team Japan 所属?の2人の小学生(当時)がスターター /プライズギブン のお手伝いをしました。
同じ場所でスタッフの真似ごとをさせてもらったわけです。

この時、9歳だった娘は今、15歳。
絶対ラリーやるって言ってるし、ココであなたに娘を迎えてやって欲しかった。
あと5年くらいだったのに。

会場で動き回る関係者を見回すとポロシャツやラフな姿の人が多い中で、ボブさんは必ず襟のあるシャツをお召しで、足下は革靴でした。
あと、商売道具であるマイクをあまり握り込まないようで、すらっと長い指がいつも印象的でした。

Rally Isle of Man 2016

またあなたに、フィニッシュラインで迎えて欲しかった。
当たり前だったことがもう叶わない、かなり寂しいです。
感染症のおかげで身動き取れない間に、大事な人たちがみんな彼方へ行ってしまう気がして。
そう言っているうちに、ひたひたと自分の順番は近づいていて。

Bob Milloy 1949 – 2022

スコットランドのモータージャーナリスト John Fife という人が運営するウェブサイトに、
ボブさんの生涯を簡潔にまとめた記事が載っていました

最後に、 BRC のTwitter を貼り付けておきます。
72歳、ちょっと早すぎ…
いつも温かく迎えてくれて、ありがとうございました。
私たちは、あなたの声を忘れない。

なんだか疲れた

大黒ふ頭へ。
午前中に2往復、我ながらようやりますなぁ。
先週工面したパレットの出番です。
トラックの荷台へは、フォークリフトで摘んでもらってきます。

明るいうちに、寒くならないうちに2台ともパレットに載せて、うち1台は置き場に仕舞ってきます。
マジいっぱいなんで…

もう、出尽くしたかな

やーれやれ配線からテコ入れしまして、そろそろ出尽くした感じです。
スッキリ、次のオーナーに渡せます。

インジェクションシステムも調整。
白 / 黒 でケージが入って…なかなか強そうです。

内陸は雪でした

え、こんな日にどこに居んの?

相模の陸事に来ています。
内陸はさすがに昼前から雪模様でしたが、幹線道路に積もるような気質の雪ではなく。
いつも以上に閑散としている相模…

ここから左を見ると、建物に時計が ❤︎
気が利いてるね〜!と思ったのも束の間、止まってた笑


登録して、納車して、店へ戻る道中はずっと雪でした。
この辺りでは、1月6日の雪ほどにはならなさそうです。
女房殿に、足やってもらってよかった。
(電車、年に数えるほども乗らないので…)

ミラーも付いて

MV Agusta ミラーが付いて、いよいよ最終段階。
到着後1度徹底的に磨いていますが、改めてキレイ担当がキレイにします。

イギリスのバイクと違うんだよなぁ…なんていうか、小洒落てるんだな…。

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次の乗り手を探している車たち(商品車)をアップしました。
根掘り葉掘り、ウェブサイトで触れるのはやめにしました。
ご興味ある方は、是非お問い合わせください。