3.11 今年のこの日も、取引先(お世話になりっぱなしの)の信用金庫の店頭に弔旗があった、と女房殿から聞きました。
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旧ブログが飛んでしまったので記事はありませんが、一番歳の近い兄があの日石巻の自分の工場で被災し、長男を津波で亡くしました。
安否が数日知れず、藁をもすがる思いで『Person Finder』に登録し情報を待ちました。
するとそれを見た盛岡にある兄の取引先の人が、私に連絡をくれました。
盛岡での揺れの様子を聞き、兄のことで情報をなにか得たら共有しましょう、と話をしました。
宮城県警の亡くなった方リストが日々更新され、そこに長男の名前を見つけました。
長男は兄の会社で一緒に働いていたので、家族一同絶望に包まれました。
すると数日後、次姉のところへ兄からポロっと電話が…
自分の電話はとうに充電がなくなったので使えず。
かけてきた電話は、兄の病死した奥さんの実家の人たち(花巻)が届けてくれてたもので、電話番号を誦じていた次姉のところへ電話が来て、それで家族が知るところとなりました。
すぐにでも駆けつけたかったのですが高速道路も満身創痍な状況で、物資の輸送を最優先するとして一般車は通行を制限されていました。
4月になってようやく規制が解かれ、兄の次男のワンボックスで私と長兄との3人で思いつく物資を積んで石巻へ向かいました。
兄は「食べ物はびっくりするほどあるんだよ、避難所に行かなくても届けてもらえる」と。
そう言っていたのにも関わらず、長兄は栄養価が高いから…とコンビーフの缶をいくつも携えていました。
兄の工場に着いて兄の顔を見てから、荷解きをして出てきたコンビーフを見て一同、少し笑いました。
自宅は2階の床から 20cm くらい津波に浸かり、ベタ基礎の家が流れてきちゃってたり人んちの車が家に刺さってたり、ひとことで言えばめちゃくちゃでした。
2階の衣装ケースの下の段に入っていた兄の服は津波に浸かってしまい、上の段に入れていた長男の服はかろうじて浸からなかったので、我々が行った時も兄は長男の服を着ていました。
兄の長男は工場で兄と一緒に地震に遭ったのですが、携帯電話だったかな…を取りに自宅へ自転車で戻る間に津波にのまれてしまったそうです。
死因は溺死、財布をズボンのポケットに携帯していたので身元の確認が早くできたって…
我々が行った時、兄が何をやっていたか?
従業員さんにお給料を払う日が近づいていたから、お金をかき集めていたっていう…
兄は時計の文字盤をプリントするのが仕事、小さいながらもメッキ層を持っていたのですが
「みんな流れちゃったよ…」
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弔旗の話を聞いてうわぁーっとあの時のことを思い出しました。
上に書ききれないくらい。
たった15年のことなのに、だいぶ離れたここでもいろんな思いしたのに、すぐ忘れちゃう。
忘れちゃいけないね、女房殿と話しました。
数年前に、兄に会いにいきながら墓参した折のことをここで紹介しました。
しばらくまた兄と会っていません。
今夜あたり、電話してみようかな。














